詩誌「ガニメデ」(武田肇編集発行)の52号が出た。
俳句ではいつもの顔ぶれ、林和清、鳴戸奈菜、恩田侑布子、増田まさみの作品と、前号からは拙作も掲載されている(林和清が14句、他は各50句掲載)。恩田侑布子は俳壇時評も担当。
詩壇時評は今後掲載しないという。理由は編集後記に曰く《ある日突然、「詩誌に詩壇時評」の常識が近親相姦に見えたから》。
生家まだ知らぬ部屋ある半夏生 林 和清
きぬぎぬの声に出て知る秋の声
1句目が、生家というもの懐かしさと畏れを静かに引き出している。夢に出てくる建物は、幼少期を過ごした家が多いとも吉武泰水『夢の場所・夢の建築』で以前読んだ。
落椿てのひらでまた死にはじむ 増田まさみ
馬刀貝でありし昔の夜會かな
ぬけ道に事切れている父子草
夕されば二足歩行のゲジゲジも
暗いつきつめた気配の幻想的な句が従来多かった気がするが、今号を見ると、諧謔の要素も強まっているようだ。
空谷やほたるの戀の一滴 恩田侑布子
雷(いかづち)とまぐはひし松跨ぐかな
始祖鳥のはばたく尾骨晩夏かな
限界集落限界日本糸櫻
滴つてみろくの胸をさくら貝
こちらは変わらず、丈の高い、張り詰めた作に佳句が多い。
《雷とまぐはひし松跨ぐかな》の「跨ぐかな」は、滑稽なようでもあり、また「雷」の神威の余韻との感応で、跨いでいる側も畏怖に満ちた自然界に常住しているようでもある。両方の要素が絡んだ弾力がある。
また春で我家に我に飽きにけり 鳴戸奈菜
囀りや近江の国になぜか居る
亀鳴くを待てばいつしか亀となる
小学唱歌うたっておりぬ苺かな
蟻にぎり潰すは簡単そうで厄介
はったいに噎せ一日を棒に振る
この辺まで来ると、とぼけたふりをしているといったレベルの話ではなく、誰か天才的なナンセンスマンガ家の生み出した作中人物と、“空気系”アニメのキャラクターを足して2で割ったような何ものかが句を詠んでいるような、平坦な絵柄ゆえの破壊力といったものを感じる。
平坦な楽々とした息遣いのなかに、ナンセンスを体現してみせる作中主体と作者との関わり方の、一種異様な重層性がある。
短歌からも一首。前に歌集を頂戴したことのある栃本泰雄氏も今号に登場している。
ほろ酔ひの祖父どことなくマラルメに肖てゐて突如、ポポイ!と叫ぶ 栃本泰雄
「ポポイ」は悲嘆をあらわすギリシア語の感嘆詞らしい。別次元の衝迫がいきなり介入するさまが、幻想の世界に終始する作の多い一連のなかで際立っていた気がする。ユーモラスでもある。何を言い出すのだ、この祖父は。
私は震災詠ばかりで50句載せ、先日の朗読イベント《言葉を信じる「夏」》ではその50句を朗読した。
「ガニメデ」は京都の三月書房から購読できる。
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