深夜叢書社
1995年
序文を作家の阿川弘之がつけている。阿川弘之の海軍時代の旧友の夫人に、柿本多映が当たるらしい。
「女房が出す句集に何か一筆」と頼まれて、「正直な話、感想も期待も持ちやうが無く、ただ、クラスメイトの頼み事は原則として断らない海軍同期生会の不文律にしたがっ」て引き受け、参考にと送られてきた「柿本多映句集」を見て「一転、愕然とした。」
立春の夢に刃物の林立す
まずこれが、私の目を射た。
(中略)
蟻の死を蟻が喜びゐる真昼
我が母をいぢめて兄は戦争へ
誰か来て石投げ入れよ冬の家
あの育ちの良さそうな美しい容姿の何処の隅に、かういう凄さ、気味の悪さがひそんでゐるのかと感嘆する作品もあるし、
童子童女みんな花野に寝落ちたる
極月の大屑篭に猫眠る
童話の挿絵風の、ほのぼのとした句もある。ともかく、花鳥諷詠の亜流めいた月並は一切見られない。
巻末の年譜を見ると先に短歌をやっていたようで、俳句を始めたのは50歳近くなってから。赤尾兜子の「渦」に入会している(兜子の一周忌後、「渦」を辞め「草苑」「犀」に入会)。花鳥に自分を空じるタイプではそもそもない。
天体や桜の瘤に咲くさくら
朴の花指の動くはおそろしき
歳晩の闇から棒をとり出せり
骨を煮る湯気は消えつつ梅の花
春川の途中を終わりとも思ふ
大寒の人あつまって別れけり
兜子忌の扉押さうか押すまいか
師の兜子は「大雷雨鬱王と会うあさの夢」等の句を残し、鬱病の末、鉄道事故とも自殺ともつかない死を遂げている。取り返しのつかない領域に通じる扉で、「押さうか押すまいか」の軽みを含ませた口調からは、少なくとも当面こちらに踏みとどまりそうなバランス感覚が透けて見える。
生前を覚えてゐたる利腕や
たましひの春の渚に肉(しし)溢れ
赤子眠りをりし蜜蜂群れをりし
身の中の戦前戦後夏霞
桜咲き淋しきものに飯茶碗
鱶の海指吸ふ赤子思ひけり
のどもとの眩しさに春過ぎゆけり
眩しさと喉元の結びつきが秀逸で、刃物が喉に迫ったようにも見える。それが危機意識と何ら関わらない。そもそも全体に死はことさら危機と思われていないようだ。
うたた寝のあとずぶずぶと桃の肉
井戸覗くたび昼顔のそよそよ
後頭の荒びゆくなり蝉の殻
内景にこのごろ海鼠腸が懸かる
炎帝の昏きからだの中にゐる
ひるすぎの美童を誘ふかたつむり
風景の何処からも雪降り出せり
「風景」は人の作った枠組、雪はその外部から来る自然。しかしここでは雪を降らしめる外部は意識されず、憧憬も畏怖も呼び込まず、見えるのは風景の枠内のみ。自らの観念のうちに入ったもののみを詠む、一つの倫理的清潔というものか。
一本の柱を倒す祭かな
ナンセンスとなるまで単純化された祭。大勢が力を尽くして毎年この営為を繰り返すわけだが、それが空しいとか楽しいとかいった感情レベルを離れてある持続をあらわしているのが特長。
まんぢゆうに何も起こらぬ夏の昼
先生を隠してしまふ大夏野
むつかしきこの世の辺り瓜の馬
思ひ出し笑ひや両手に柿提げて
両手の自由を奪われての笑いという不気味さと、柿ののさばりようとが相俟って、この世に重みを運びながら異界にはみ出す心のありようがうかがわれ、楽しい。
遊び呆けて木となる独活も風の中
八月の枯木に産着かかりけり
赤子に関わる句も幾つかあるが、これは句意を図式的に見て取りやすい方に属する。
旺盛な生(八月)と死(枯木)の間に、生まれて間もない人のまといものがかかっているわけだが、ここでは時間の経過に従ってではなく、全部が一度に見えていることに注意すべきだろうか。
生死は遠い彼岸のことではなく、人体という持続物を除いてみれば全部がつねに現前しているという認識。
梨の実のごろりと小火(ぼや)を見てゐたり
断崖の野菊は酩酊してゐたる
全体に生死の問題を象徴や暗喩であらわす作りだが、悲しみや苦しみといった情念からは離れていて、さりとて知的把握に走ってからっと明るいというわけでもない。ある安定の中に異界的な翳りを伴った手応えのあるものを呼び込む句が多いようだ。
柿本多映…昭和3年滋賀県生まれ。昭和23年歌誌「箜篌」入会。昭和52年「渦」入会。昭和55年第5回渦賞。昭和56年「白燕」入会。昭和57年兜子一周忌後「渦」退会、「草苑」「犀」入会。昭和59年滋賀県出版文化賞、昭和63年第35回現代俳句協会賞、平成2年、草苑賞。(巻末の年譜より抜粋)
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