林桂の第2句集だが、あとがきを見るとこちらの作品群の方が第1句集に収められたものより先らしい。いかにも若書きという文体が意図的に採用されている。
地元の図書館で何の気なしに検索をかけてみたらたまたまこれだけ閉架書庫に入っていたので借りてきたが、この後林桂は高柳重信の開発した多行形式の可能性をさぐる道を進み、もともと虚構性、唯美性の強い作者だったが、詩的言語の自律性のみによって成り立つような俳句へと向かう(本当はそちらの作品が読みたかったのだが)。
林桂といえば特筆すべきは批評家として優秀なこと。『船長の行方』『俳句・彼方への現在』等の評論集がある。
クレヨンの黄を麦秋のために折る
代表句のひとつ。
表現行為の挫折・不可能性(「折る」)によって対象がかえって鮮明に立ち現れる。その全体が「クレヨン」の懐旧性によって和らげられる。中心にあるのは、「麦秋」という自然を描くことでもなければ「クレヨン」の懐かしさや「折る」の衝撃や蹉跌でもなく、それらの全体から分光器を通したように析出された「黄」自体のようにも見える。
てのひらの夏野に少女湧くごとし
蝶図鑑少年の姉婚約す
いもうとの平凡赦す謝肉祭
美童かな蛇振り廻す遊びして
夢の祭にサーカスが来て点りけり
折鶴の体内に夜を集めけり
朗読の少女に耳がふたつかな
つるぎたちこころ少年探偵団(せうねんたんていだん)
川原には弟といふ月見草
函のなかの函をゆさぶる霊祭
晩秋の下宿にパンをちぎりゐる
王朝の百態恋を貫けり
寂しさの林檎を椅子に置いて起つ
僕が主人公の童話を語る冬薔薇
花馬酔木地下にある街思ひけり
当時の新鋭俳人8人を集めた『現代俳句ニューウェイブ』(立風書房・1990年)に、大木あまり・大西泰世・金田咲子・田中裕明・夏石番矢・長谷川櫂・千葉浩史らとともに入集した一人だがこの時期を最後にこうした試みもなくなり、朝日文庫の『現代俳句の世界』全16巻といった歴史的見通しを持った叢書も絶版となって、いわゆる現代俳句は、縦(これまでに何がどう実現されてきたのか)にも横(同時代に誰が何をやっているのか)にも極めて見通しが立てにくくなってゆく。
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