不調で放置してあった2025年2月分。丸茂ジュン『ヴィトンの中は疑惑の匂い』は辰巳四郎装幀のために買った。
筒井康隆『脳ミソを哲学する』講談社・1995年
《SF界の巨匠が、科学の第一線で活躍する人たちに「最先端のいま」を鋭く問う
解剖のこと、お天気のこと、数学のこと、みんな考えればすべて深遠な哲学に到達する。10人の一流科学者たちが学問の真髄を披瀝する注目の面白本。》
宇野邦一『土方巽―衰弱体の思想』みすず書房・2017年
《「私たちの世界で〈器官なき身体〉という問題提起的な概念に土方ほどふさわしい実践と思考と生き方をした人はさしあたって見当たらない。しかもダンスという身体の芸術にとってこそ〈器官なき身体〉は永遠の、究極の課題ではないだろうか」
「土方巽の舞踏が身体と生命をどのように問題化したかという問いにむきあうことは、68年の反乱のコンテクストをこえ地域性をこえて表現にとって本質的な課題でありうる。消費、情報、グローバリズムに翻弄される世界で〈身体が何をなしうるのか〉、あらためてスピノザのように問う必要があるにちがいない」
同時代の証言や資料をもとに「禁色」「肉体の叛乱」から東北歌舞伎、衰弱体の採集にいたる創造の軌跡をたどり、アスベスト館「封印」後に書きあげられた驚異の書『病める舞姫』を読みとく。アルトー、ジュネ、そしてドゥルーズの翻訳・研究者であり、晩年の舞踏家と交流した著者による哲学的肖像にして土方巽論の集大成。》
アラゴン、ドミニック・アルバン『アラゴン、自らを語る―ドミニック・アルバンとの対談』富岡書房・1985年
《シュルレアリスト、抵抗詩人、愛の詩人として生き、小説=詩を追い続けたルイ・アラゴンが自らの文学的軌跡を縦横に語る。》
宇野邦一『吉本隆明―煉獄の作法』みすず書房・2013年
《「長いあいだ敬しながら少し遠ざけ、その人の魂の内側に深くのめりこむようにして読むことを避けていた。逝去の知らせに接してから、しきりに考えつづけている。休火山のように、私のなかで眠りについていたモチーフがあったようだ。それが呼び覚まされ、もう一度新たに吉本隆明を読む時間が始まった。ただ本を読みなおすだけでなく、かつて読みつつ考えたこと自体を、つまり自分の脳髄に刻まれた時間自体を読みなおすことになる」
吉本隆明とは何者だったのか。いまもなお受けとるべきその問いとモチーフは何か。「関係の絶対性」「大衆の原像」から「自己表出」「共同幻想」「心的現象」を経て母型論、ハイ・イメージ論へ。「戦・後の断絶」を真摯に生きた詩人批評家の軌跡をたどり、自在にジャンルを越境するブリコラージュ群をあざやかに読みといた思想地図。》
宇野邦一『非有機的生』講談社選書メチエ・2023年
《人間が自然の中にあるものを加工し、改変を加えてみずからの有機的生のために利用するとき、対象は非有機的な自然として捉えられている。その結果、自然の一部である人間も非有機的なものとして捉え返され、政治はその人間を操作し、駆動していく――。単純な二項対立に収まらない有機性と非有機性という問題系は技術や政治、思想や文学、芸術などに及ぶ巨大な射程をそなえる。身体、知覚、イメージといった問題を中心に思索を紡いできた著者がみずからの仕事を俯瞰し、整理し、編み直す、渾身の集大成。》
高階秀爾『想像力と幻想―西欧十九世紀の文学・芸術』青土社・1986年
《芸術活動の底にあるイマジネーションやイリュージョンが時代や社会の動きのなかでどのように生まれ、展開するか。その相関を克明に跡づけ、近代の意味を具体的に解きほぐす犀利な論攷。》
アレハンドラ・サンブラ『盆栽/木々の私生活』白水社・2013年
《チリの首都サンティアゴに住む、作家志望の若者フリオ。学生時代、彼にはエミリアという恋人がいた。彼女と過ごした日々、二人が読んだ本の数々、現在フリオが書く小説「盆栽」の構想、そしてこエミリアの死……メタフィクション的かつ斬新な語りと、生と死をめぐる即物的なまでの描写が胸を打つ(『盆栽』)。ある晩、絵画教室から戻らない妻べロ二力を待ちながら、幼い義理の娘ダニエラを寝かしつけるために自作の物語「木々の私生活」を語り聞かせる日曜作家のフリアン。妻は帰ってくるのか、こないのか。不意によみがえる過去の記憶と、彼と娘の未来が、一夜の凝縮した時間から広がっていく(『木々の私生活』)。
樹木を共通のモチーフとして、創作と書物、失われた愛、不在と喪失の哀しみを濃密に浮かび上がらせる。深い余韻を残す、珠玉の二篇。》
小谷野敦『日本人のための世界史入門』新潮新書・2013年
《いつから日本人は世界史が“苦手”になったのだろう。“コツ”さえつかめば、世界史ほど面白いものはないのに――。「物語のない歴史は退屈である」「日本人にキリスト教がわからないのは当然」「中世とルネッサンスは何が違うのか」「フランス革命の楽しみ方」……。歴史の“流れ”を大づかみするための補助線を引きながら、古代ギリシアから現代までを一気呵成に論じる。一冊で苦手意識を克服できる、便利な世界史入門。》
小澤善雄『評伝 国吉康雄―幻夢と彩感』福武文庫・1991年
《1906年、17歳で単身アメリカにわたった国吉康雄。言葉が通じなかったために得意の絵でコミュニケーションの方法をつかんだ少年は、やがて美術学校を経て、当時のアメリカを代表する画家となってゆく。日本生れのアメリカ人画家、国吉康雄の作品と生涯の軌跡を綿密な描写で浮きぽりにする。収録図版多数。》
陳立人『シルクロードの虹―仏像の旅』徳間文庫・1986年
《インドに生まれた仏教は、パミール高原を越えて東へ向かった。やがて“入ると出られない”砂漠に行き当たると、西城南道、北道に分かれて進み、その昔、沙州と呼ばれ“漢土”への関門、敦煌の地でまた一つに合した。
三蔵法師玄奘が経典を求めた道を逆にインドから中国へ、キジル、トルファン、敦煌とたどり、シルクロード仏教東進の旅を、豊富な写真によって再現する。》
丸茂ジュン『ヴィトンの中は疑惑の匂い』廣済堂文庫・1987年
《新宿要通りにあるバー『からくり』のママ麻美。推理小説好きが高じて、ついつい“探偵ゴッコ”に首を突っ込む。ヴィトンのボストンバッグをかかえた美女の来店で始まった事件も、疑惑の匂いがプンプン。場違いな国際電話がかかってきたり、彼女が何者かに轢き殺されてバッグを奪われたり……。麻美は、レズ相手でエクスタシーに達すると霊感が働く容子、純情でおっちょこちょいな警察官清水とトリオを組んで謎に挑む!》
村上龍『悲しき熱帯』角川文庫・1984年
《日に晒され、風になぶられて、少年は大人になる。熟れた果実、ぬめる魚、影を描いて低く飛ぶ鳥たち―。季節のない島で、すべてのものは自らの物語を朽ちていく。だから、絶望的に動かない熱い空気の列を震わせて、黒い肌の少年が妹のために振り上げた汗まみれの拳は全生物的なものだ。
人はある土地に生まれ、その自然に染まり、犯され、そして死ぬ。
「犬と戦う鶏」「飛べないスーパーマン」「眠っている珊瑚礁」「鐘が鳴る島」「顎のない小人」……。
耳を澄ませば、あらゆるものからせつない呻きが聞こえてくる――。幻の名作、いきなり文庫で登場! 〈解説 栗本慎一郎〉》
収録作品=フィリピン/ハワイアン・ラプソディ/スリーピー・ラグーン/鐘が鳴る島/グァム
青木雨彦『洒落た関係』集英社文庫・1983年
《それにしても、ふつう、ひとは、ナニしたいときに、なんと言うのだろうか? バカみたいに「ナニしよう!」と言うのだろうか?――そんなわけで、「ねえ!」と言ったら「いいわよ」ということになった。が、そのあとで「いや!」と言われたのには、マイッた。彼女は、どこでどう感じたのか「いちどだけじゃ、いや!」と、そう言ったのである(本文より)。男女の機微、人生の哀歓をユーモラスに描く雨彦流人間バンザイ。解説・塩田丸男》
藤原新也『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』河出文庫・2012年
《ふつうの人々の営むささやかな日常にも、心打たれる物語がひそんでいる。その一つ一つをていねいにすくい上げて紡いだ、美しく切ない作品集。妻殺しの容疑で起訴された友人の物語「尾瀬に死す」(TVドラマ化)ほか、ネットカフェ難民の男女の出会いを描いた表題作、はぐれカモメと放浪犬とおばあさんの物語など十四篇を収録。》
収録作品=尾瀬に死す/コスモスの影にはいつも誰かが隠れている/海辺のトメさんとクビワとゼロ/ツインカップ/車窓の向こうの人生/あじさいのころ/カハタレバナ/さすらいのオルゴール/街の喧騒に埋もれて消えるくらい小さくてかけがえのないもの/トウキョウアリガト/世界でたったひとつ手帳に書かれていること/六十二本と二十一本のバラ/運命は風に吹かれる花びらのよう/夏のかたみ
眉村卓『二次会のあと』講談社文庫・1986年
《何かが、違う、奇妙な感覚。職場で、家庭で。現実なのか、白昼夢の錯覚か。サラリーマンの日常の中に、ふと忍びよる、さまざまな誘惑、罠、落し穴、倦怠、懐疑、私憤、公憤、義憤、憎悪、怨念、狂気、本性……。異才が想像力豊かに描く、不思議な魅力にあふれた新感覚のサラリーマン・フィクション14編。》
収録作品=バッジ/監視/資格魔/乗りかえた日/梅雨/同室の連中/叫ぶ草/根なし花/協定/同居者/冬眠の前/顔/吹きだまり/二次会のあと
竹内均『燃える島―アイスランド紀行』徳間文庫・1992年
《アイスランド、余り日本人に馴染みのない、この国が全体の11.5%を占める氷河と、ヘクラ火山をはじめとする火山群からなる“火山島”であることを知る人は少い。地球物理学者の著者は、日本がマントル対流の地球内部への沈み口にあるとすれば、アイスランドはその湧き出し口にある、という。日本とならび、世界の地震国であり、火山活動の活発なアイスランド。他人事ではない“火山列島”人に贈る科学紀行。》
梅原猛・中上健次『君は弥生人か縄文人か―梅原日本学講義』集英社文庫・1994年
《記紀神話の聖地、光りあふれる死の国への入口――熊野とは何か。熊野の山襞深く、また常世に向かう海原遠く、あるいはアイヌ語の音の響きに「縄文の心」を捜し求め、縄文人と弥生人が生き生きと交錯する、ユニバーサルな古代日本を現出させる、刺激に満ちた対談集。》
小松左京『ウインク』角川文庫・1972年
《「先生、見てください!」と言って人気女優田井チリ子は前髪をかき上げた。――その額にある大きな眼が医師の顔をにらみつけた時、医師は真青になって、のけぞった。眼はたちまちのうちに、地球上のありとあらゆるものを蔽い、地上を這い、水中を泳いだ。人々は耐えきれず狂い、破滅していった――。他に初期傑作短篇11篇を収む。》
収録作品=ウインク/イワンの馬鹿作戦/おえらびください/手おくれTDSとSDの不吉な夜/おちてきた男/地球になった男/時魔神/日本漂流/彼方へ/*◎~▲は殺しの番号」(~は二重線)/ヤクトピア
池波正太郎『食卓の情景』新潮文庫・1980年
《いちばん好きなものは? と問われたら、鮨と答える、にぎっている時の主の眼の輝きがすばらしい。少年時代、どんどん焼屋に弟子入りしようとして〔鳥の巣焼〕という珍品を発明する。松阪牛が丹精こめられた処女なら、伊賀牛はあぶらの乗りきった年増女、これをバター焼、ついですき焼と賞味する。おいしい食べ物に託して人生感を語る無類のエッセー。著者自筆のカット7点挿入。》
東野芳明『つくり手たちとの時間―現代芸術の冒険』岩波書店・1984年
《J.ボイス、B.フラー、J.ケージ、J.ジョーンズら芸術家が聞き手を得て、ふと心を開いた時に洩らす創作の秘密と生の哲学――来日した16人の世界的な現代芸術家と、美術批評のあり方を一新させた著者との対談集。》
堀田善衞『バルセローナにて』集英社・1989年
《スペインを旅し、住まうこと20数年。人間がこの地にしるした歴史を冷徹に見据え、自らの魂の遍歴を語る連作小説集。幼い子供が歌う赤旗の歌、ムッソリーニの失業対策によりフランコ側で闘った老人の話等、今なお残るスペイン内戦の影を見つめた『バルセローナにて』。アラゴン、カスティーリア両王国の王位継承者、狂女王と呼ばれたフアナの数奇な運命を辿る『グラナダにて』他一編。》
収録作品=アンドリン村にて/グラナダにて/バルセローナにて
稲垣足穂『天族ただいま話し中―稲垣足穂対談集』角川書店・1973年
対談者=小松左京、五木寛之、大橋巨泉、草柳大蔵、亀山巖、加藤郁乎、中村宏、野坂昭如
村上龍『だいじょうぶマイ・フレンド』集英社・1983年
《シンジケートに追われる異星人と、日本の若者たちとの交流―――!
音楽とスポーツを愛する心やさしい人へのファンタジー。》
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