上げずに放置してあった4月分。
林美一・永田生慈・浦上満 他『北斎 漫画と春画』新潮社・1989年
《『冨嶽三十六景』だけでは、北斎をわかったことにはならない。フランスの印象派の画家たちを驚嘆させた『北斎漫画』、豪華手彩色の珠玉の工芸品と屯いうべき『浪千鳥』など傑作春画三編を詳しく紹介。役者絵から美人画、淋派から西洋画法、読本挿絵から絵手本、春画まで多彩な活動を生涯続けた“画狂人”の天才のすべてを追う。》
コレット『シェリの最後』岩波文庫・1994年
《第一次大戦後のパリ。復員したものの社会の動乱に適応できず無為な日々を送る主人公を尻目に、妻と母は営利と名誉の獲得に奔走している。どこにも自分の場所を見出すことのできない彼は、唯一の女性レアのもとへと帰ろうとするが……。失われた時と永遠の愛との間を彷徨する魂を、とぎすまされた筆致で描く『シェリ』の続篇。》
森敦『わが青春わが放浪』福武書店・1982年
《横光利一、太宰治、檀一雄との若き日の交遊
奈良・尾鷲・酒田・月山での放浪生活―――
自在の境地を格調高い文体で描いた69篇収録》
吉川英治『私本太平記(一)』吉川英治歴史時代文庫・1990年
《大作「新・平家物語」を完成した著者は、息つく暇もなく、南北朝を題材とする「私本太平記」の執筆にかかった。古代末期から中世へ――もはや王朝のみやびは影をひそめ、人間のどす黒さがあらわに出てきた時代、しかも歴史的には空白の時代である。史林の闇に分け入るとき、若者は使命感と創作意欲の高まりを禁じえなかったという。開巻第一、足利又太郎(のちの尊氏)が颯爽と京に登場する。
吉川英治『私本太平記(二)』吉川英治歴史時代文庫・1990年
《鎌倉幕府が開かれてから百三十年、政治のひずみが到るところに噴出していた。正中ノ変はその典型的な例である。そして公武の亀裂はますます拡大し、乱世の微候が顕然となった。「天皇御むほん」さえ囁かれるである。当時は両統迭立の世、後醍醐天皇が英邁におわすほど、紛擾のもととなった。この間、足利高氏が権門の一翼として擡頭し、再度の叛乱に敗れた日野俊基とは明暗を大きく分ける。》
吉川英治『私本太平記(三)』吉川英治歴史時代文庫・1990年
《後醍醐の切なるご催促に、楠木正成は重い腰をもち上げた。水分の館から一族五百人の運命を賭けて――。すでに主上は笠置落ちの御身であった。また正成も、二万の大軍が取り囲む赤坂城に孤立し、早くも前途は多難。一方、正成とはおよそ対照的なばさら大名・佐々木道誉は幽閉の後醍醐に近づき、美姫といばらの鞭で帝の御心を自由に操縦しようとする。かかる魔像こそ、本書の象徴といえよう。》
吉川英治『私本太平記(四)』吉川英治歴史時代文庫・1990年
《元弘三年(一三三三年)は、また正慶二年でもあった。敵味方によって年号が違うのも異常なら、後醍醐帝が隠岐に配流という現実も、尋常の世とはいえない。眇たる小島は風濤激化、俄然、政争の焦点となった。不死鳥の如き楠木正成は、またも天嶮の千早城に拠って、五万の軍勢を金縛りに悩ましつづけている。一方、去就を注目される足利高氏は、一族四千騎を率いて、不気味な西上を開始する。》
吉川英治『私本太平記(五)』吉川英治歴史時代文庫・1990年
《足利高氏の心はすでに決している。彼は名優さながら、なに食わぬ態で六波羅軍と合した。問題はいつ、最も効果的に叛旗をひるがえすかにある。高氏の打ちあげた烽火は、まさに万雷の轟きとなった。石垣の崩れるごとく、鎌倉幕府は百五十年の幕を閉じた。――さて建武の新政。台風一過と思ったのは、ひと握りの公卿たちで、迷走台風は再び引き返して荒れ模様、武士たちの不平不満は尽きない。》
吉川英治『私本太平記(六)』吉川英治歴史時代文庫・1990年
《なぜ、建武の新政が暗礁に乗りあげたのか。――根本には、公卿は武家を蔑視し、武家は公卿を軽んじていたからである。それが端的に論功行賞に現れ、武家の不満は爆発した。武家は不平のやり場を尊氏に求めたが、この趨勢を心苦く思っていたのが、大塔ノ宮だった。尊氏を倒せ。その作戦は宮のもとで練られていた。北条残党の蠢動は激しく、宮には絶好の時かと思われたが……。》
吉川英治『私本太平記(七)』吉川英治歴史時代文庫・1990年
《一夜にして人間の評価が変るのが乱世の慣いである。尊氏が“筑紫隠れ”の朝、新田義貞は、凱旋将軍として、堂上の歓呼をあびていた。左近衛ノ中将の栄誉、それのみでなく、後醍醐の寵姫・勾当の内侍を賜ったのだ。それにひきかえ、貴顕に生命乞いする佐々木道誉の鵺ぶり。また、朝敵たる汚名は逃れたものの、尾羽打ち枯らした尊氏。しかし彼は、北九州に勢力を養い、反攻を意図する。》
吉川英治『私本太平記(八)』吉川英治歴史時代文庫・1990年
《湊川に繰り広げられた楠木軍の阿修羅の奮戦。さしもの正成も“敗者復活”の足利軍に制圧された。正成の死は、後醍醐方の大堤防の決壊に等しかった。浮き足立つ新田義貞軍、帝のあわただしい吉野ごもり。その後の楠木正行、北畠顕家の悲劇。しかし尊氏も、都にわが世の春を謳うとは見えなかった。一族の内紛? 勝者の悲哀? 彼は何を感じていたか。終章「黒白問答」が、その解答である。》
栗田勇『一遍上人―旅の思索者』新潮文庫・2000年(芸術選奨文部大臣賞)
《河野水軍の血を享けた偉丈夫、一遍智真は、愛と憎しみの底知れぬ苦悩の果てに、わが身を捨て、捨てる心をさえ捨てて、諸国漂泊へと旅立った……。国宝絵巻《一遍聖絵》に描かれた足跡を各地にたどり、肌身で感得する遊行の心。信・不信をえらばず浄・不浄をきらわず、ひたすら念仏流布の旅に生きて死んだ男の、足音に耳をすまし、生身の人間像に肉薄する。芸術選奨文部大臣賞受賞。》
服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版』中公新書・2009年
《一九六五年、経済的に繁栄する日本からアフリカ中央の一小国ルワンダの中央銀行総裁として着任した著者を待つものは、財政と国際収支の恒常的赤字であった――。本書は物理的条件の不利に屈せず、様々の驚きや発見の連続のなかで、あくまで民情に即した経済改革を遂行した日本人総裁の記録である。今回、九四年のルワンダ動乱をめぐる一文を増補し、著者の業績をその後のアフリカ経済の推移のなかに位置づける。》
吉本隆明『カール・マルクス』光文社文庫・2006年
《かつて混迷の政治の季節、虚飾にまみれたマルクスを救出するべく、その人物と思想の核心を根柢から浮き彫りにした吉本隆明。その営為は、敗戦体験を出発点に掘り下げられた思考の行程のひとつの達成を意味した。
そして今、迷走する21世紀の〈現在〉、日本史上最大の思想家の手になる世界史上最大の思想家の実像が、再び立ち上がる。待望の文庫化!《解説・中沢新一》》
柏木博『日用品の文化誌』岩波新書・1999年
《今や生活に浸透した様々なモノやメディアは、どのように生み出され、受け入れられていったのか。紙コップ、電灯、スーツ、ラジオ……登場したときのエピソードや、意外な展開を紹介しながら、産業や社会への影響にとどまらず、人々の感覚や思考の変容をもたらした、多くの「日用品」をたどって、二十世紀の文化様式をとらえ直す。》
谷川俊太郎訳『マザー・グース1』講談社文庫・1981年
《おもしろくってくそまじめ、ナンセンスまた不可解ふしぎ、ユーモア、ペーソス、どたばたにやり……あらゆるおかしさがひしめきあうへんてこりんな世界。いまや全地球的財産になった「マザー・グース」の軽妙絶妙の訳に、たのしいイラストがついた。この巻にはハンプティ・ダンプティ等が登場して全96篇。全四巻。》
谷川俊太郎訳『マザー・グース2』講談社文庫・1981年
《おもしろくってくそまじめ、ナンセンスまた不可解ふしぎ、ユーモア、ペーソス、どたばたにやり……あらゆるおかしさがひしめきあうへんてこりんな世界。いまや全地球的財産になった「マザー・グース」の軽妙絶妙の訳に、たのしいイラストがついた。この巻にはマザー・グースのおっかさんもいよいよ登場。〈全4巻〉》
谷川俊太郎訳『マザー・グース3』講談社文庫・1981年
《おもしろくってくそまじめ、ナンセンスまた奇怪千万、ユーモア、ペーソス、どたばたにやり……あらゆるおかしさがひしめきあうへんてこりんな世界。いまや全地球的財産になった「マザー・グース」の軽妙絶妙の訳に、たのしい絵がついた。この巻は、頭をひねるマカフシギな唄やなぞなぞなぞを集めて109編。〈全四巻〉》
谷川俊太郎訳『マザー・グース4』講談社文庫・1981年
《おもしろくってくそまじめ、ナンセンスまた奇怪千万、ユーモア、ペーソス、どたばたにやり……いまや全地球的財産になった「マザー・グース」の軽妙絶妙の訳に、なんともたのしい絵がついた。この完結巻には、39の心ときめく物語り唄がならぶ。巻末には親しみぶかい唄23曲の楽譜と、全四巻336篇の総索引も掲載。》
山田登世子『娼婦―誘惑のディスクール』日本文芸社・1991年
《娼婦、それは男の目差しを魅了し、欲望を煽る誘惑者。
三島由紀夫・山田詠美・ゾラ・プルースト・ボードレール・フロベール・バルザック・バルト等を自在に援用しつつ、「モード」という可視の〈かたち〉をとおして不可視の「愛」を語る誘惑のディスクール、あるいは愛のドラマツルギー。》
栗田勇『異貌の神々―ゴシック・バロック・ガウディの空間』美術出版社・1967年
高齋正『ニッサンがルマンを制覇する時』徳間文庫・1983年
《10年余の沈黙を破って、ニッサンがルマンに挑戦する。24時間を走りきる苛酷なレースにのぞむのは、人間尊重の新兵器を装備したミドシップ5000ccの大排気量車“二ッサンR384”。この車を駆るワークス・ドライバーは、公募に応じ厳しいテストとトレーニングに耐えた6人の男たちだ。
轟然と吠えるエンジンの響きに満たされた1周13.46キロのコースをR384が唸り、跳び、走る――著者独壇のカーレース小説。》
ヘミングウェイ『移動祝祭日』新潮文庫・2009年
《1920年代、パリ。未来の文豪はささやかなアパートメントとカフェを往き来し、執筆に励んでいた。創作の苦楽、副業との訣別、“ロスト・ジェネレーション”と呼ばれる友人たちとの交遊と軋轢、そして愛する妻の失態によって被った打撃。30年余りを経て回想する青春の日々は、痛ましくも麗しい――。死後に発表され、世界中で論議の渦を巻き起こした事実上の遺作、満を持して新訳で復活。》
森富子『森敦との対話』集英社・2004年
《天才作家の謎の素顔と真実が、没後十五年、初めて明かされる。
作家の晩年、最も身近にいて執筆の現場に立ち会った、養女である著者でしか書き得ない、衝撃の評伝小説
十代で菊池寛に見出され、横光利一に才能を認められ、二二歳の時「酩酊船」で文壇デビュー、将来を期待されながらも以後一作の小説も刊行しないまま、奈良、山形、三重など日本各地を放浪、在野で文学研究に打ち込む半生を送った後発表した「月山」で、六二歳で芥川賞を受賞した作家、森敦。その間殆ど小説を書かなかったにも拘わらず、森は太宰治、檀一雄らと同人誌を作り、又、すでに名を成した錚々たる作家達が訪ねて来ては文学上のアドバイスを乞う。プロの作家でもなく、定職に就かない時期も永い、一介の在野の人間である森の文学理論は驚くべきものだった。本書は、五十代で東京に移り住み、文学研究に没頭した森敦に親しく接し、文学上の師弟関係となり、更に森敦夫妻の生活面まで助けるようになった著者が、森の没後十五年の今、作家の素顔と謎の半生、そして名作「月山」執筆と芥川賞受賞の経緯を評伝小説として綴ったものである。》
ジャック・ヒギンズ『サンタマリア特命隊』河出文庫・1985年
《挫折を一度も経験したことのない男に魅力はない。矛盾だらけの人生にぽろぼろになりながらも誇りと愛を失わない男たちが、革命の余燼くすぶるメキシコの辺境に特命を帯びて行く。機関銃をもつ神父、IRAのガンマン、世の裏道の全てを知りつくした太っちょ実業家、言葉を失った美貌のインディオの娘、裏切りに復讐を誓った山賊の頭目――神の怒りしか存在しない荒野にくりひろげる壮絶劇。》
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