白水Uブックスの復刊版が話題になっていたハインリヒ・プレティヒャ『中世への旅 騎士と城』はたまたま親本が買えた。
吉田秀和『マーラー』はこの版のあと同じ河出文庫から『決定版 マーラー』が出てしまっていた。
ジェイムズ・E・ハーティング『シェイクスピアの鳥類学』博品社・1993年
《劇作家・博物学者の感性と精神
心と理性に訴え、真理を探求する精神の持ち主である劇作家で詩人は、狩猟の達人でもあった。戯曲と詩編に描かれた美事で力強い数々の直喩と隠喩は、とりわけ鳥類学の知識を綿密に検証して初めて明らかになる。》
P・アンセル・ロビン『中世動物譚』博品社・1993年
《キツネ、クマ、ヒョウ、クジラ、一角獣、バジリスク、マンティコラ、不死鳥、コッカトリス、サラマンダー、クサリヘビ、サソリ、アリ、ミツバチなどの動物をめぐる俗信や寓話の起源と歴史をはじめて明らかにする。》(「BOOK」データベースより)
常盤新平『ニューヨーク五番街物語』集英社文庫・1985年
《19世紀初め農地がつらなる田舎道だった五番街は、今世紀に入ると億万長者の大邸宅が建ちならぶ魅惑の街に変貌する。金と野心が渦巻き、成功と名声を夢見て人々が集まるニューヨークの中心。アメリカの夢の象徴となった五番街の華麗でドラマティックな変遷を豊富なエピソードで綴るもうひとつのアメリカ史 解説・加賀山弘》
常盤新平『晴れた日のニューヨーク』旺文社文庫・1987年
《「ニューヨークの酒場」「最高のデリカテッセン」「ファネリ・カフェでワインを」「ミミ・シェラトン」…街歩きのたのしみや多彩な食べ物、古きよき生活の発見など、ニューヨークのつきない魅力を語る。さらに、ゲイ・タリーズやウィリアム・ショーンなど著者の出会ったニューヨーカーたちの素顔も紹介。》
常盤新平『アメリカン・ベストセラーズ101』旺文社文庫・1986年
《「ゴッドファーザー」「ミスター・グッドバーを探して」「ザ・カンパニー」「郵便配達はいつも二度べルを鳴らす」「輝けるアメリカ野球」「「汝の隣人の妻」……。
多様なベストセラーの世界を通して現代アメリカの人と社会を語る常盤新平書評エッセイ集。》
草間彌生『無限の網―草間彌生自伝』作品社・2003年
《幼少時より強迫神経症に悩まされながら、五〇年代後半に単身アメリカに渡り、アンデイ・ウォーホルやダリ等との交流のもとハプニングの女王として時代を席巻した乱交パーティと芸術創造の日々を赤裸々に描く、国際的造形作家による初の瞠目の自伝。》
鮎川哲也『翳ある墓標』立風ノベルス・1988年
《熱海で消えた女を追った雑誌記者映子も謎の四文字「滅徳曰吉」を残して殺されていた。連続殺人に潜む黒い野望。巨匠の本格巨編!》
ハインリヒ・プレティヒャ『中世への旅 騎士と城』白水社・1982年
《城での生活、食物と衣服、日々の仕事と娯楽、合戦と攻城、十字軍遠征など、騎士文化最盛期のヨーロッパの騎士たちの日常生活を、豊富なエピソードを交えながら生き生きと描きだす。》
小室直樹『韓国の悲劇―誰も書かなかった真実』カッパ・ビジネス・1985年
《「釜山日報」論説委員――黄千洙氏評
韓日二千年の歴史の中で初めて本質に迫った本だ
韓日関係を「近くて遠い国」とずばり言い捨てる。これは両国人の口から同時に出てくるのでじつに妙だ。これほど理解に苦しむ国際関係は、ほかにあるまい。
日本人は日韓問題が出てくると、しいて無関心を装う。韓国人は韓日関係が話題にのぼるとまず感情的になる。気むずかしいこの関係はどこから来るのか。小室さんは特有な、そして斬新な発想、明快な論理、切れ味のある文章で、問題の本質と核心にぐんぐんと迫る。そのものすごい迫力、あえてタブーにも触れる大胆な論旨は、知的興奮を誘ってやまない。
さて、「ハングリー経済論」のくだりとか、ある部分については、多少、突拍子なところがなくもない。本の名前が『韓国の悲劇』とは気になるが、韓日両国はお互いに「近くて近い国」になるためにも、大いに議論しあってよいと思う。韓日二千年の歴史を振り返っても、その本質にまで迫ったのは、この本が初めてだと思う。韓国人も、韓日問題を「感じる」のではなく、「考える」きっかけになるだろう。この本は、その起爆剤になりそうだ。》
森敦『文壇意外史』朝日新聞社・1974年
《異色の芥川賞作家として注目を浴びる森敦の青春放浪記――その自由奔放な文学精神は年少十九にして新聞連載の『酩酊船』を残し、ランボーのように文壇を去った。その神韻縹渺とは……》
クリストファー・プリースト『伝授者』サンリオSF文庫・1980年
《南極大陸の氷の下6000フィートにある集中研究所でウェンティック博士は機密の研究を進めていた。刺激→反復→教化→習慣というパブロフの実験を薬を投与して短縮しようというのだ。スターリン体制下でパブロフの実験が悪用されたように、一歩間違えると危険な薬だった。ところが政府関係者と称する二人の男が突然現れて、博士はその仕事を解除されたというのだ。まだ研究は完成していないのに。そして一枚のフィルムを示して、新しく別の任務を申し渡した。目的も理由もわからないまま博士はブラジルのジャングルヘ連れてこられた。ジャングルを抜けて目的地のプラナルト地域の草原へ踏み入って背後を振り返ってみると、今までそこにあったジャングルは消え、かわりに前方に見えるのと同じ草原の地平線がどこまでも広がっていた。その上、手の生えた机、耳のある壁、高等数学の公式に従って設計された迷路のある監獄に収容されてしまった。現代イギリスSFの代表作。》
ジョン・ソール『殉教者聖ペテロの会』サンリオSF文庫・1980年
《バルサムが、その田舎町にやってきたのは、旧友の司祭に招かれて教区の学校で心理学を教えるためだった。だが、やがて受持ちの少女が次々と剃刀や鏡の破片で手首を切ったり、首を吊ったりした。不可解なことはそれだけでなかった。彼は司祭の主宰する聖ペテロの集いに誘われて行ったが、そこでの記憶が不確かなのだ。ゆらめく蠟燭の炎。顔、顔……ほほえむ聖人の顔。幻想と恍惚。気がつくと思った以上に時間が過ぎていて、背中に赤いみみずばれが縦横にあった。テープに録音された集いの悍しくも淫らな光景。多くの人々を拷問と火あぶりで殺した13世紀の異端審問官、聖ペテロ。背景はほかにもあった。30年程前、少女がセックスしている両親を殺害し、自分も首をくくった、その一部始終を目撃していた幼児。少女たちの死は、精神操作による新しい魔女裁判か、それともただの自殺伝染か? 戦慄と狂気、怨念と恍惚が静かに絶頂へと高まっていくジョン・ソールの最高作。》
海野弘『ホモセクシャルの世界史』文藝春秋・2005年
《世界史の中で封印され続けてきたタブー、「同性愛」。古代ギリシアから、ルネサンスの禁欲、“世紀末”の愛の迷宮、帝国主義と二つの世界大戦、そして、性意識の増大した二十世紀に花開いた美と多様な価値観。その裏側には、知られざる壮大なホモセクシャル・ネットワークがあった。今、明かされる、前人未到の裏世界史。》(「BOOK」データベースより)
加藤秀俊・前田愛『明治メディア考』中公文庫・1983年
《人と人とを結びつけるもの――そのすべてを「メディア」としてとらえ、活字メディアの新聞・雑誌をはじめ絵図、建築、銅像、文房具等をふくむ視聴覚の世界を縦横に語り合う。社会学者と国文学者が相互の触発によって描き出す異色の明治文化史。》
五来重『円空佛―境涯と作品』淡交新社・1968年
《円空は職人のもつ可能性を、最大限にひきだした人である。それは理論をもたない素人だからできたのだともいえる。現代人は理論をもった芸術に飽き飽きしている.理論だけの宗教に飽き飽きしているように。
(中略)
後藤氏の円空写真は、誰かがいったように実物より美しい。実はいま全国の円空愛好者のもつ円空仏のイメージは、ほとんど後藤氏のカメラを通したイメージなのである。実物を見たら、大ていの人が、うすぎたなくて、小さく粗雑なのにおどろくにちがいない。私はそのようなカメラの虚構がきらいて、きたないものはきたなく写してほしいのだが、後藤氏はそれでは商売にならないのである。だから私はきたなくとも真実をつたえる全身像がほしいときにも、一番美しく見える角度からのアップ写真にして、「芸術」に妥協した。写真というものは、対象のもつ一番美しい真実をひきだすというリアリズムの芸術だから、歴史事実の真実を探究する歴史と妥協できないはずはないという理屈で。本書は芸術と歴史の妥協でできあがったものと、御理解ねがえれば幸いてある。》(「あとがき」より)
矢野久美子『ハンナ・アーレント―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』中公新書・2014年
《『全体主義の起原』『人間の条件』などで知られる政治哲学者ハンナ・アーレント(一九〇六―七五)。未曽有の破局の世紀を生き抜いた彼女は、全体主義と対決し、「悪の陳腐さ」を問い、公共性を求めつづけた。ユダヤ人としての出自、ハイデガーとの出会いとヤスパースによる薫陶、ナチ台頭後の亡命生活、アイヒマン論争――。幾多のドラマに彩られた生涯と、強靭でラディカルな思考の軌跡を、繊細な筆致によって克明に描き出す。》
池澤夏樹『神々の食』文春文庫・2006年
《食べ物を作るという仕事は、神様の仕事に近いものかもしれない……。現代人が失った豊かさを、いまだに秘めている沖縄。その食の伝統を支える人びと、新しい「沖縄産」に取り組む篤農家、南国ならではの味覚の数々。沖縄に移住した作家と、南方写真師が十年の歳月をかけて訪ね歩いた食の現場・三十五景。写真多数。解説・新城和博》
八束はじめ『ル・コルビュジエ』講談社学術文庫・2022年
《「すべての建築家にとっての強迫観念」「近代建築の言語そのもの」。スイスの若き時計工芸家は、なぜこれほどの世界的名声を勝ち得たのか。師との出会いと決別、数多のコンペティション落選やアカデミーとの論争、生涯転身し続けた作風の背景――。建築界の巨匠を“人文主義者”という視点で捉え直し、豊富な図版と共に、その全体像をクリアに描き出す!》
会田雄次・小松左京・山崎正和『日本史の黒幕』中公文庫・2019年
《京大出身の碩学三人による日本史上の人物、それもアウトサイダーに光をあてたユニークな座談会。会田氏はイタリア・ルネサンスの人物との対比、山崎氏は「木像傑刑」「世阿彌」「室町記」など自作に依拠した視点、小松氏は現在と過去を自在に往還するSF作家ならではのアプローチ、と三者三様の語り口が面白い。 解説・井上章一》
川田順三『マグレブ紀行』中公新書・1971年
《マグレブはアラビア語で「日の沈む国」を意味し、モロッコを中心に、ジブラルタル海峡を挾んでスペインと向いあったアフリカの一角である。ここはオリエント、オクシデント、アフリカの接点であり、また十五世紀に始まる、旧世界と新大陸との再会を準備した所でもある。本書は、アフリカ史を専攻する著者が、日本とは地球半周を隔てたこの地方への「旅」の見聞を語りながら、西洋近代や日本を再考しようとした、異色の紀行文である。》
高橋敏『博徒の幕末維新』ちくま新書・2004年
《嘉永六年(一八五三)六月八日深夜、伊豆七島の流刑の島新島から、七人の流人が島の名主を殺し、漁船を盗み、島抜けを敢行した。そのリーダーが、清水次郎長の敵方として知られる甲州博徒の巨魁、竹居安五郎である。奇しくもペリー提督率いる黒船が伊豆近海にあらわれた直後であり、韮山代官江川英龍も島抜けを見逃すしかなかった。この黒船来航をきっかけに、歴史の表に躍り出た博徒侠客たち。錦絵や講談・浪曲、大衆小説等でおなじみの竹居安五郎、勢力富五郎、武州石原村幸次郎、国定忠治、黒駒勝蔵、水野弥三郎らのアウトロー群像を、歴史学の手法にのっとって幕末維新史に位置付け直す、記念碑的労作。》
ラリー・ニーヴン『プロテクター』ハヤカワ文庫・1979年
《放射能鉱石採掘を生業とするしがない小惑星帯人ジャック・ブレナンは、トロヤ群で採掘中、謎の物体の接近を探知した。やがて、彼の目前に姿を現わしたのは、円筒と目玉と卵型の部分が八マイル間隔でつらなった異形の宇宙船――人類はついに異星人と接触することになったのだ! しかしブレナンが目にした、おぞましい姿をした異星人は、その思考も、その行動も、その目的も、人類の想像の範囲をはるかに超えていた……はたして、この異星人は人類に何をもたらすのか?――新鋭がノウンスペース(人類が探索可能な宇宙域)を舞台に、壮大なスケールで描く新未来史シリーズ。》
吉田秀和『マーラー』河出文庫・2011年
《マーラー生誕百五十年から没後百年へ。マーラーを戦前から体験してきた著者が、その魅力をあまさずまとめた全一冊。ヴァルターからシノーポリまで、演奏解釈、ライヴ評CD評も充実。》
廣松渉・五木寛之『哲学に何ができるか―現代哲学講義』朝日出版社・1978年
《近代の主観-客観図式のパラダイム=物的世界像を超克する、事的世界観とは何か。ゲシュタルト・チェンジの今日に、哲学は諸科学や芸術といかなる関係を切り結ぶのか。現代文学の現場からする作家の根源的な問いかけを受け、マルクス主義、実存主義、分析哲学から構造主義・新哲学までをエピステーメーの変換の中に位置づけ、疎外論を越えて物象化論と共同主観性の地平に、新たな世界観の構案を提起する廣松哲学体系のプロレゴーメナ。》
根本順吉・新田次郎『病める地球、ガイアの思想―汎気候学講義』朝日出版社・1980年
《太陽系が銀河の腕を通過するのに要する時間、地球公転のストレッチの周期、自転軸の傾きの周期、それに歳差現象、これらの組みあわせが、地球史の目盛り、氷河の周期にほかならない。この地球史のスケールで自然や気候を、そして文明を観察すると、均一化を文明の原理と思い違えた結果が見えてくる。エネルギーの輸送に最大のエネルギーが費やされ、都市にデッド・センターという病巣が宿る。自然と生命とのハルモニアの途はあり得るか。》
ラリー・ニーヴン『地球からの贈り物』ハヤカワ文庫・1979年
《地球をとおく離れたマウント・ルッキッザット星。地表は厚い有毒ガスで覆われ、惑星一の高峰〈山頂平原〉のみが居住可能なこの星では、権力側による一方的な臓器移植が行なわれていた。安逸な生活を貪る乗員階級が、自らの長寿のために移民階級の臓器を使用していたのだ! 移民階級のマット少年のおじは、このシステムを支える政府に反逆し、追いつめられた末、〈山頂平原〉の崖から身を投げた。やがて成長したマット少年に、移民階級の解放グループ 〈地球の子ら〉が接近してくる。おりしもラムロボット143号は、〈地球からの贈り物〉を携えて、この世界を訪れたが……。》
四方田犬彦『歳月の鉛』工作舎・2009年
《『ハイスクール1968』の続編、1970年代=大学編登場。『先生とわたし』では描かれなかった、内省的な大学時代を振り返る。キャンパス内に氾濫した内ゲバ、新宗教調査、映画研究、修士論文執筆に至るまで。》
眉村卓『自殺卵』出版芸術社・2013年
《作家生活50周年を迎えた著者が描く、8つの異世界譚!
「われわれの贈り物で、死んで下さい。人間はもう充分生き過ぎました。」……
年金生活者で独り暮らしの主人公の自宅に、そんな異様な手紙が届けられた。
世界中で、差出人不明の卵型の自殺器と手紙がばらまかれる。
徐々に人口が減り始め、〈死〉が日常になる…終末SFの傑作「自殺卵」
ほか書き下ろし「退院前」、「とりこ」の2作を収録した全8編!》
収録作品=豪邸の住人/アシュラ/月光よ/自殺卵/ペケ投げ/佐藤一郎と時間/退院後/とりこ
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