「ジャム・セッション」(編集発行・江里昭彦)第6号(2014年12月)から。
江里昭彦と、中川智正死刑囚2人の同人誌。
中川智正「私をとりまく世界について(その5)」、江里昭彦「最高裁判事にして俳人」掲載。
第6号のゲストは松下カロで評論「受難の言葉 小宮山遠へのアプローチ」と作品「白鳥」22句を発表。
婚礼の夜白鳥が戸を叩く 松下カロ
父母へ白鳥の羽散乱す
「疣をこすりつけたらぽろりと取れる」と噂の石があった。
「いぼがみさま」と呼ばれていた。行ってみると母方の先
祖の墓で、唖然とした。
疣取りの神となられしや古墓参り 中川智正
「まだ俺を食おうとする」と熊係
子規の句碑が霙童子となりにけり 江里昭彦
星ひとつ拉致さる 全天押し黙り
江里昭彦「最高裁判事にして俳人」は2009年12月17日に亡くなった最高裁判事・涌井紀夫のもうひとつの顔、「京大俳句」創刊号から終刊まで(64年5月から83年9月まで)そのメンバーであった俳人としての軌跡を紹介している。直接会ったのは一度だけらしい。
少女がかくす菊をちぎった掌の汚れ 涌井紀夫(3号)
のような抒情性豊かな作品が
地を掘る姿勢寒き怒りを育ており (8号)
のような詰め込み気味の詰屈した句へと変化していき、やがて次のような世界に至る。
風の雪面腑分けのあとのごとく荒れ (27号)
児にくらき帆がはためけり火事の中 (40号)
壮年の四肢容れくらき湯が溢れ (49号)
《精神のどこかに不穏な何かが巣くっていて、制御しながらそれをおりおり俳句という場に連れだした、という感想を抱くのは私だけだろうか。》
涌井が亡くなったのは、2009年の総選挙と同時に行なわれた国民審査の3ヶ月半後。67歳だった。
この時の国民審査では、涌井判事に×を付けようとの強力なキャンペーンが張られていたという。
「あとがき」から。
寄付やカンパが寄せられているが、氏名の公表はこの「ジャム・セッション」の特異な性格を考えて一切避けているとのこと。
また江里氏本人は別に生活費を切り詰めて支援活動をしているわけではなく、《暮らしにはまるで困っていない》ので、多額のカンパに困惑している模様。
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Oscar Petersons trio feat. Dexter Gordon - 30.10.1969
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