名ばかり高かったフラン・オブライエン『第三の警官』がようやく読めた。推理小説ではなく前衛文学なのだが、あとがきのネタバレは読了後まで見ずに置いた方がよい。わけがわからないまま迷子になった方が楽しめる。
戦争文学が気になりだして、ノモンハン事件がどう描かれているかを見るためだけに村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を今更読んだりしている(好き好んで読む作家では全くないのでずっと放置してあった)。
フィリップ・ジュリアン『世紀末の夢―象徴派芸術』白水社・2004年
《ラファエル前派→モロー→象徴派という芸術の流れを正しく捉えた絵画史。19世紀末、画家、詩人をはじめ芸術パトロン、女優、画商などおよそ600人が織りなす「世紀末の夢」を自在に見透かしその輪郭をあざやかな手ぎわで描き出す。》(「BOOK」データベースより)
笹沢左保『海の晩鐘』角川文庫・1983年
《ドイツ留学中の神尾八千代のもとに一通の凶報が届けられた。彼女の母親が急死したというのだ。しかも、九州天草で、男と共に心中を遂げたと――。
急遽帰国した八千代に、ひとりの刑事が、思いがけぬ疑いをぶつけてきた。
「お母さんは自殺ではなく、殺された可能性があるんです」
消えぬ疑惑を胸に一年半、再び留学先のドイツから戻った八千代に、その刑事は断言したのだ。
「犯人は、あなたのお父さんに間違いありません」
執念に燃える刑事、犯人かもしれぬ父のアリバイを追う娘。人間関係の綾の中にかくされた謎を描く傑作推理。》
東浩紀『セカイからもっと近くに―現実から切り離された文学の諸問題』東京創元社・2013年
《想像力と現実が切り離されてしまった時代に、文学には何ができるだろう。ライトノベル・ミステリ・アニメ・SF、異なるジャンルの作家たちは、遠く離れてしまった創作と現実をどのように繋ぎあわせようとしていたのだろうか。新井素子、法月綸太郎、押井守、小松左京―四人の作家がそれぞれの方法で試みた、虚構と現実の再縫合。彼らの作品に残された現実の痕跡を辿りながら、文学の可能性を探究する。著者最初にして最後の、まったく新しい文芸評論。》(「BOOK」データベースより)
佐藤友哉『1000年後に生き残るための青春小説講座』講談社・2013年
《僕のことを覚えていてほしい。僕のことが大嫌いでも、とにかく僕のことを覚えていてほしい。いつまでも。いついつまでも。そのためには、何かを成さなければならない。それも、すさまじくデカイことを。だけど僕はもう三十路で、家庭を持ち、3・11に衝撃を受けてしまった。どうすればいい。どこにでも転がっている普通人間が、どうすれば時の流れを乗りこえられるか――。
千年に一度の大震災とネット時代を超えて生き残る言葉とは?「戦争」と「青春」をキーワードに時を超える方法を探る気鋭作家の青春小説講座! 》
梅崎春生『桜島・日の果て・幻化』講談社文芸文庫・1989年(毎日出版文化賞)
《処女作「風宴」の、青春の無為と高貴さの並存する風景。出世作「桜島」の、極限状況下の青春の精緻な心象風景。そして秀作「日の果て」。「桜島」「日の果て」と照応する毎日出版文化賞受賞の「幻化」。不気味で純粋な“生”の旋律を伝える作家・梅崎春生の、戦後日本の文学を代表する作品群。》
1161夜『幻化』梅崎春生|松岡正剛の千夜千冊
井伏鱒二『徴用中のこと』中公文庫・2005年
《一九四一年、日米開戦直前に陸軍徴用を受けた井伏鱒二は、マレーに向けて日本を発つ。現地で待っていたのは、想像を絶する過酷な現実であった―自らの徴用体験をもとに執筆された、『黒い雨』以前の傑作。初の文庫化。》(「BOOK」データベースより)
郡司ペギオ-幸夫『生きていることの科学―生命・意識のマテリアル』講談社現代新書・2006年
《ロボットの痛み、手触りのあるプログラム、日本一のラーメン屋、就職できない若者、「アペオス」のコマーシャル―多彩なメタファーを縦横に駆使して、生命・脳と意識・進化の核心を解き明かす。あの郡司理論が画期的にわかる、待望の一冊。》(「BOOK」データベースより)
高橋世織『感覚のモダン―朔太郎・潤一郎・賢治・乱歩』せりか書房・2003年
《朔太郎の写真、潤一郎の映画、賢治の黒板、乱歩のレンズ。自然主義的リアリズムに抗い、様々なメディアを媒介に感覚の錯乱を創造の武器として世界を幻視した四人の表現者に1920年代モダニズム文学の真髄を探る。》(「MARC」データベースより)
高城高『高城高全集1 墓標なき墓場』創元推理文庫・2008年
《大学在学中、雑誌〈宝石〉の懸賞に「X橋付近」を投じ一位入選、江戸川乱歩の絶賛を受けデビューする。以来、「賭ける」「淋しい草原に」「ラ・クカラチャ」などの傑作を発表し、日本ハードボイルドの礎を築いた伝説の作家の作品を集成する《高城高全集》。第1巻は、北海道で勃発した天陵丸沈没事件の謎を、不二新報の支局長・江上武也が追う、著者唯一にして幻の長編。初文庫化。》(「BOOK」データベースより)
栗本薫『シンデレラ症候群』新潮文庫・1992年
《25歳のサラリーマン秋葉誠一。端正なマスクで育ちが良く独身。しかし秋葉白身は平凡な自分にうんざりしていた。そんな秋葉がある晩、新宿で出会った妖しく蠱惑的な女リズ。軟弱な秋葉の中に意外なもう一人の自分が目覚めていった。リズとともに夜の街を泳ぎ廻る秋葉。だが数日後、リズは凄惨な死体となって発見される。秋葉は真相を暴くべく夜の新宿へ乗り出した。文庫書下ろし長編。》
野田秀樹『少年狩り』角川文庫・1982年
《登場人物――西田幾多郎、護良親王、サン・テグジュペリ、少年1・2・3、あんあん、のんの、立の木リサ、その他――をいちいち説明してもはじまらない。南北朝時代から600年をへだてた世紀末、すなわち現代の、たとえば、「人に刃物を持たせると危ない」ような暑い夜、愛の絆などが問題になるのではけっしてなく、「うつつの世は夢、夜の夢こそまこと」である現世において、「月の光と鏡のいたずら」によって事が起き、鎮まり、ついに「鏡の海の果ては、行く先々で千夜一夜」という言葉で果てる、烈しさのあまり人の手を焼く、華麗不遜な、失なわれゆくものの物語。》
A・レシーノス原訳/校注『ポポル・ヴフ』中公文庫・1977年
《ポポル・ヴフ讃 三島由紀夫 メキシコのマヤ文化の古事記ともいふべきポポルこッフが、林半水害氏によって本邦にはじめて紹介されたことは、喜びに堪へない。ある考古学者はマヤ族を新世界のギリシア人と呼んでゐる。この聖典はマヤの万神殿を形成する神と英雄との物語で、そこに猛威を振ふ太陽の力のすさまじさは、今日なは、密林に包まれたマヤの廃墟のかたはらで如実に昧はふことができる。魅力あるメキシコの風土とそのダイナミックな暗い活力は、ポポル・ヴフの中に、神話的叙述をとはして、ありありと感じられる。》
神林長平『プリズム』ハヤカワ文庫・1986年
《地上3万メートルの都市上空に浮かぶ直径137メートルのソロバン玉の形をしたスーパーコンピュータ――浮遊都市制御体。自動販売機からソフトクリームを買うのも、病院で診察を受けるのも、すべてこの都市制御体によって管理・運営されている。だが、神のごとき完璧とも思える都市制御体とコミュニケートできない人々がいた。人間たちには見えるが、都市制御体には見えない波らは「幽霊」と呼ばれ、警察機構から追われる。都市制御体が支配する世界では、存在することが許されない「幽霊」なのだ――俊英が奔放な想像力で描き出す傑作SF!》
フラン・オブライエン『第三の警官』白水Uブックス・2013年
《あの老人を殺したのはぼくなのです―出版資金ほしさに雇人と共謀して金持の老人を殺害した主人公は、いつしか三人の警官が管轄し、自転車人間の住む奇妙な世界に迷い込んでしまう。20世紀文学の前衛的方法、神話とノンセンス、アイルランド的幻想が渾然となった奇想小説 》(「BOOK」データベースより)
三島由紀夫『荒野より』中公文庫・1975年
《日本の生んだ国際的作家として圧倒的な賞讃を集める三島由紀夫の、小説・戯曲・評論・エッセイ・スポーツ論など多方面にわたる珠玉作を一巻に収め、その魅力のすべてを溶かしこんだ画期的編集!》
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』新潮文庫・1997年(読売文学賞)
《「人が死ぬのって、素敵よね」彼女は僕のすぐ耳もとでしゃべっていたので、その言葉はあたたかい湿った息と一緒に僕の体内にそっともぐりこんできた。「どうして?」と僕は訊いた。娘はまるで封をするように僕の唇の上に指を一本置いた。「質問はしないで」と彼女は言った。「それから目も開けないでね。わかった?」僕は彼女の声と同じくらい小さくうなずいた。(本文より)》
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』新潮文庫・1997年(読売文学賞)
《「今はまちがった時間です。あなたは今ここにいてはいけないのです」しかし綿谷ノボルによってもたらされた深い切り傷のような痛みが僕を追いたてた。僕は手をのばして彼を押し退けた。「あなたのためです」と顔のない男は僕の背後から言った。「そこから先に進むと、もうあとに戻ることはできません。それでもいいのですか?」(本文より)》
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』新潮文庫・1997年(読売文学賞)
《僕の考えていることが本当に正しいかどうか、わからない。でもこの場所にいる僕はそれに勝たなくてはならない。これは僕にとっての戦争なのだ。「今度はどこにも逃げないよ」と僕はクミコに言った。「僕は君を連れて帰る」僕はグラスを下に置き、毛糸の帽子を頭にかぶり、脚にはさんでいたバットを手に取った。そしてゆっくりとドアに向かった。(本文より)》
マルティン・ゼール『自然美学』法政大学出版局・2013年
《なぜ、われわれは自然に対して好感を抱くのか。自然に配慮することが人間社会の保護に行き着くのはなぜか。なぜ、自然美は人間的実存がその生をうまく成就できるような範例的な場所であるのか。自然を美的に知覚する可能性を体系的・規範的に記述して、美学と倫理の根源に新たな展望を切り開く。》(「BOOK」データベースより)
柳澤桂子『いのちと放射能』ちくま文庫・2007年
《私たちは原子力に頼っていて本当によいのか。なぜ放射性物質による汚染は、科学物質とは比較にならないほど恐ろしいのか。放射能によって癌や突然変異が引き起こされる仕組み、大人より子どもに影響が大きい理由を、生命科学者がわかりやすく解説。それでも核燃料サイクルへの道を突き進むエネルギー行政のありかたと、命を受け継ぐ私たちの自覚を問う。》(「BOOK」データベースより)
宮本常一『日本人の住まい―生きる場のかたちとその変遷』農山漁村文化協会・2007年
《日本人の住まいのかたちは、どのようにして形成されてきたのだろう。それは日本各地の暮らし方や生産のあり方、家族のかたちの変遷とどのように結びついてきたのだろうか。たとえば土間の広い家と狭い家があるのはなぜか。仏壇は住まいのかたちにどのような影響を与えたか。土間の家と高床の高はどのようにして結びついていったのか。カマドとイロリは炊事法や家の構造とともにどう変遷したのか。庶民の住まいに便所や風呂ができるのはいつごろからか。広範な全国に及ぶフィールドワークの見聞と体験を通して日本の民家を庶民の「生きる場」という視点から見続けた宮本常一の刺激的な民家論。》(「BOOK」データベースより)
ジャック・デリダ『エクリチュールと差異』法政大学出版局・2013年
《1960年代フランスの知的沸騰のなかで生まれ、痕跡、差延、脱構築などのデリダ的概念を展開した本書は、構造主義以後の思想界を決定づける著作となった。ルーセ、フーコー、ジャベス、レヴィナス、アルトー、フロイト、バタイユ、レヴィ=ストロースらの読解を通じて、主体と他者、言語と表象、存在と歴史についての哲学的思考を根底から書き換えた名著。》(「BOOK」データベースより)
鈴木淳史『愛と妄想のクラシック』洋泉社新書y・2007年
《記憶を呼び覚まさぬクラシックなどない。そもそも、代替の効かぬ個人的な体験である音楽の記述に客観性を装うこと自体、おおいなる「幻想」ではないのか?音楽から自らの具体的経験や思考と結びつくさまは消し去ることはできないし、消し去るべきではない。『わたしの嫌いなクラシック』『萌えるクラシック』で、客観性の幻想を衝いてきた著者が、いよいよ「音楽と愛」を語る。音楽の感覚的現実を召還させる著者渾身の新しい「私批評」の試み。》(「BOOK」データベースより)
波田野直樹『キリング・フィールドへの旅―カンボジアノートⅡ』連合出版・2006年
《ポル・ポト時代とは何だったのか。私たちはそこに何を学ぶべきなのか?―人間存在の深淵を見つめて。》(「BOOK」データベースより)
渡辺研二『ジャイナ教―非所有・非暴力・非殺生 その教義と実生活』論創社・2005年
《一、生きものを殺すなかれ。二、偽りのことばを語るなかれ。三、与えられないものをとるな。四、淫事を行うなかれ。五、なにものも所有するなかれ(執着するなかれ)―出家修行者が遵守すべき五大誓戒が出発点である。宗教的苦行があって、解脱が得られると解く。この厳しい戒律によって、仏教と異なりインド以外の地に渡っていないが、およそ二五〇〇年の長きにわたり、インド文化・経済に強い影響を与えつづけ、現在もなお篤信の在家信者二三〇万人を擁する“勝利者”の意を冠した究極の平和宗教集団―ジャイナ教のすべてを知る初めての本。》(「BOOK」データベースより)
中村真一郎『愛をめぐる断想』中公文庫・1979年
《愛は隷属ではなく、束縛でもない。それに自由であるということ――。若くして傷ついた著者が、みずからの青春の彷徨に追憶を馳せつつ、現代の愛のありようを説く、若いふたりのための恋の教則本》
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Shostakovich - Symphony No 8 in C minor, Op 65 - Mravinsky
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