2011年
書肆山田
高橋睦郎新詩集『何処へ』は、統一感を重んじる高橋氏の詩集としては変わった成立事情で、1978年から2010年までの拾遺集のような作りとなっている。しかしそれで統一感がないかというとそういうわけでもない。
《畏友草森紳一が若い日に、お前の作品は螺旋状に上昇しているので、生涯のどの段階で切り取っても完結感があるはずだと予言してくれたことを、とりあえず肯定的に想起し、援用しておこうか。》(覚書)
過日ご一緒した、震災を受けての朗読イベント「言葉を信じる 夏」で高橋氏自身が朗読した「市場からの報告」も収録されている。無機質な市場原理主義の市場ではなく、「市場の諸霊よ、護りたまえ」のリフレインに護られ、変動し続ける規則が迷宮を成す古代的あるいは超時代的な面影の「市場」。
ちなみに「市場」の読みは朗読では「シジョウ」ではなく「イチバ」であった。
最後に収録された「冥府行 三つの短詩形によるエセーおよび自註ノート」は、自由詩、短歌、俳句を自在に行き来する高橋氏ならではの試み。
冥府へのキーワード13種、すなわち「杖・坂・水・銭・舟・座(みくら)・鏡・秤・火・果(このみ)・血(ちしほ)・笋(たかんな)・光」を選び出し、それぞれを題にしてひとつずつ俳句、短歌、詩を作っている。
例として「笋(たかんな)」の部分だけから俳句、短歌、詩から引く。
笋 笋(たかんな)喰(く)ふ黄泉醜髪(よもつしこがみ)ふりさばき
笋 笋(たかむな)を土隱(ごも)るまま燒く話 焚書坑儒といふならねども
笋 喰ひちぎられた脚の腐臭を最も不浄となす。ことに若い男の脚
13のキーワードには別案もあり、名詞13種に代わって動詞13種の案も高橋氏自身によって例示されている。
死 みまかる
哭 ねをなく
挽 ひつぎひく
葬 はうむる
下 くだる
渡 わたる
裁 さばく
映 うつす
測 はかる
罪 つみなふ
炙 あぶるまたはひどる
饗 あへする
蘇 よみがへる
このそれぞれについて句を成す試み、やってみたくはなる。
ただしこれらの単語の選定と配列それ自体から高橋氏の冥府観が立ち上がってくるようで、それと絡み合い、身を振りほどきつつ縛られるようなおもむきともなるかもしれない。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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ジュゼッペ・シノーポリ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 - ワーグナー:歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
(Sinopoli conducts Wagner's Rienzi Overture with the Staatskapelle Dresden)
10年前「アイーダ」上演中に54歳で死去した指揮者シノーポリ(1946年11月2日 - 2001年4月20日)は今日が誕生日。
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