「夢座」(発行人・椎名陽子)第167号(2011年10月)から。
この雑誌、私は今まで現物を見たことがなかったのだが、「豈」52号に載った私の被災記を見て齋藤愼爾氏が送ってくださった。
「夢座」については豈weeklyが出ていた頃、3年前に高山れおなさんが書いているのだが、《おどろいたことに今号からは齋藤愼爾の巻頭評論の連載まではじまった。巻頭に齋藤愼爾、巻末に江里昭彦とは、辛いもの好きにはこたえられない按配ではある。なるほど、「夢座」発行人の椎名陽子は、紀伊國屋書店新宿本店の地下にあるカレー屋の女主人なのだが》という、その体制が現在でも続いていた。
その齋藤愼爾連載「「時」への眼差しⅧ」は『震災歌集』の長谷川櫂への(再びの)仮借ない批判。そして、阪神大震災を経て詩集『日々のすみか』を著した季村敏夫の散文が、「新約聖書(福音書)を遺したマタイやマルコその人になっている」として対置されている。
一方、巻末の江里昭彦連載「昭彦の直球・曲球・危険球41」は「角川書店「俳句」の研究のための予備作業(中)」。
《思いだしてほしい数値がある。ブームの助走期、70年代後半の「俳句」誌の厚みが240ページ(76年)、260ページ(77年)などであったことだ。それがブームの最盛期たるこの時代、次に示すまでに膨らむ。
1991年 336ページ
1992年 344ページ
1993年 376ページ
1994年 500ページ
1995年 374ページ
(中略)70年代後半を基準とするなら、100ページから130ページ増え、誌の厚みが約1.5倍に膨らむという盛況を呈している。まちがいなく93年から95年にかけてのこの時期がブームのピークなのだ。》
俳句ブームの盛衰を検証するのに数字でもって迫っている。
ちなみに現在の「俳句」誌はブーム以前の70年代後半の規模にまで縮小しているらしい。
これはぜひとも本にまとめてほしい。
天心に月瓦礫のごとくあり 齋藤愼爾
十一面観音どの眉間にも瓦礫の穢(え)
父母未生以前原子炉の螢
白玉を欲しがっている喉仏 杉本青三郎
木の実落つ茶房の二階に探偵社 渡邉樹音
長き夜の疼きにダリの時計かな 市川恂々
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坂本龍一『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』 - 4. 1-2 Science and Technologyから(oppenheimer's aria :: ryuichi sakamoto)
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