「翔臨」第72号(2011年11月)から。
「翔臨」会員の檜學氏が6月に89歳で逝去されたとのことで、その100句が過去の号から再録されている。
走馬灯入鹿討たるる絵が廻る 檜 學
木の芽雨脈はとくとく鬱の音
騎士の貌せる蟋蟀と夜半に会ふ
春隣り鳥獣睦むエジプト文字
ウイルスに雌雄ありとは四月馬鹿
春光や聖母に抱かれ反る足指
闇に生れき闇に死すなり大文字
仮の世の仮の七色冬の虹
残雪や角不揃ひの金米糖
湯上りの腋くすぐりぬ春の闇
蝌蚪生まる一つが一つ促して
うすうすと飛びきて親し草の絮
誰もゐぬ玉座が一つ春愁
意にかなふ文字に執して稿始め
よろこびの極みを嘆き叫天子
《春光や聖母に抱かれ反る足指》《残雪や角不揃ひの金米糖》など、細かなところをゆるがせにしない狷介さと、そこから一歩引いた穏やかなユーモアや色気との同居が見られる。
《誰もゐぬ玉座が一つ春愁》は歴史の外に出ているようでもありながら、同時に今をも映している。
気難しいようで茫漠とした親しみ深さのある作風。
下記の竹中宏の、まだ見ぬ観念を、具体を軋ませあいながら搾り出そうとするかのような苛烈な苦味走った爽快さと比べると、事物の丹念な再現が、その延長としてわずかに不可視の怪しい領域を仄見えさせるという感じがするのが穏やかさの印象の元か。
紅梅のもとスクリューを供へある 竹中 宏
せまる刃を蜂窩(ほうくわ)が待てり古代的
百足の大草原たどる列車の小
皮膚のうちに神をいだく娘(こ)袋かけ
師のひとり其(し)が死相指し桔梗指す
台風裡和宏裕子相聞歌 小林千史
「和宏裕子」は歌人夫婦永田和宏と河野裕子のことだろう。河野裕子は昨年逝去。
なお小林千史は来月刊行予定のアンソロジー『俳コレ』に入集している。
三伏や薄切りにしてチーズなる 槌井元子
山百合や遺影はいつも羞みて 海老禮子
暑気中りしてマネキンに紛れ込む 八島惠理
磔刑の両手あぐれば汗匂ふ 小山森生
声高なひとり言聞く水中花 小笠原京
くれなゐの月少しづつ黄金に 河村喜代子
蝉丸忌むかし男も歯を染めて 岩井未知
青蛙来るな千匹ゐても食へぬ 今小路小百合
敗戦忌女二人の観覧車 百尾庸子
二枚貝の天地に焚火して踊る 中野真奈美
連載は青木亮人「批評家たちの「写生」(六)―保田与重郎その六」、「竹中宏の俳句観をさぐる3」として瀧川直広「「俳句開口」と造型俳句論―同時代を生きた俳人の視点」。
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Theo Jansen "Strandbeest" / テオ・ヤンセン 「ストランドビースト」
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