ツイッターで御中虫さんが急に「秋の王」なる妙なキャラを降臨させた。
一昨日あたりから何人かで、このよくわからないヒトと遊んでいて、その模様をまとめてみたのがこちらである。
Togetter - 季語「秋の王」
一晩中馬鹿話をしていたわけだが(というか10月21日午前9時現在まだ続いている模様)、御中虫さんご本人と直接お会いしたことは1度しかない(詩歌梁山泊のシンポジウムのとき)。それも時間がなくてほんの数分だけ。
ここから少々ぼやきになる。
「ネットやケータイが普及したせいで直接人と会うぬくもりが減った」といった類の俗悪陳腐な空論をいまだにときどき耳にするのだが、これは大いなる誤解を通り越して、有害極まる現実無視の暴論である。
実際には今回のように「知人の知人」とか「名前は知っている」といった程度の距離感の人同士が、ツイッター(や、ちょっと前ならばミクシィなど)で無駄話をしているうちに親しみが増し、そのおかげで実際に会う機会を得たりもして、そのときにはもう百年の知己みたいになっていることが少なくないのだ。
あるいはツイートしている間に原稿依頼が来たりできたり、思いつきが転がっていって企画として固まったりといったこともある。
そもそも学生時代の友人にせよ、今現在の知友せよ日本中に散らばっているので、そう簡単に会える人ばかりではない。
ネットを介して雑談しているのはこういう相手が一番多いので、SNS等にふれない人が想像するらしい、“得体の知れないどこかの誰か”との関わりなど、少なくとも私の場合はあまりない。
震災直後の頃、ほとんど飢えずに済んだのも、ツイッターでこちらの状態を知った全国の知人から次々に救援物資が送られてきたからだった。
俳句に関していえば、直接会わなければいけないのであれば、病身の人、子供を抱えた人などは知り合いたちとの句会ひとつ参加できないことになる。
こういう場合「ネット」と「リアル」は「二律背反」ではなく「相互補完」の関係なのだが、頑なに前者と思い込む人が、俳句関係でもときどきいる。
そして、そういう人はまず、実際の知友こそが、最もネットでやり取りすることの多い相手なのだということをどうしても飲み込んでくれない。
俳句でいうと、《カンナはいつも「燃え」、「一つ」だけ枝に残った柿はきまって「夕陽」に照らされ、妻は「若く」、母は「小さい」》といった類の月並みから梃子でも離れないというのと似たようなものか。
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Thomas Dolby - Hyperactive!
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