2011年
角川書店
『朝涼』は「都市」を主宰する中西夕紀の第3句集。
以下「玉虫」(平成14・15年)から
春灯や向かひ座敷も客の来て
玉虫に山の緑の走りけり
あかつきの雲押し寄する海鼠突
以下「一睡」(平成16・17・18年)から
雛の間に泊りて畑を手伝へり
見る限り墓原なりし夏座敷
大寺の裏の匂ひは蝮かな
浮いてゐる紙が値札ぞ海鼠桶
以下「一誌」(平成19・20年)から
白塗の手のぞろぞろと祭かな
しつとりと杉の幹あり村歌舞伎
応とこたへて天狗茸あちらこちら
踏みし根に励まされたる枯野かな
これは父死去までを詠んだ数句に続く一句。踏んだ根の不意の異物感でわれに返ったさまが、禅の竹箆でも食らったようで、単に花を見たりするよりも「励まされたる」に説得力があり、歩く力を与えられた感がある。
棒の如き光沈めて冬泉
以下「天の川」(平成21・22年)から
初蝶と見ればふたつとなりにけり
捨て水にすぐ下り来たる黒揚羽
稲の花夜空を微音わたりけり
蹴鞠図の鞠は描かれず照紅葉
主宰誌の誌名は「都市」なのだが、詠まれる世界は鄙びたところや、伝統的な美意識に沿ったものが多く、篤実とも手堅いともいえる作風で、そこから出てくる爽快さもあくまで常識的枠組みという土台の上にある。
例えば《ちゆんと来し頬の雀に御慶かな》《鷹の空鷹の心の澄みわたり》《百官のうち揃ひたる牡丹かな》などに出てくる鳥や花は、いずれも各々の感官の違いによってユクスキュル的な別世界をまとった理解不能な異生物などではいささかもなく、ほとんど人であって、この親密さ、ヒューマニティの膜による同化圧力から、たとえば感覚の冴えによってほんの少しはみだしたところに《玉虫に山の緑の走りけり》《初蝶と見ればふたつとなりにけり》等が成り立っているのだと思う。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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