講談社
1988年
『挽歌と記録』はいわゆる「内向の世代」を代表する小説家、密度の高い短篇の名手として知られる阿部昭の短歌、俳句、エッセイを合わせた一冊。
短歌は183首ほどが収められ、己の家族史や来し方を詠んだ作が主。《飯終へてつと立ちてゆく末の子にわが黙(もだ)する日はやも到りぬ》、また愛猫家だったこの作者らしく「雌猫」の前書のある《おのが家と思ひ居れこそ野に死ぬるけものもつひに畳に逝きぬ》といった歌を収める。
あとがきに曰く。《御覧の通り、いかにも単純な歌で、正式な勉強をしている人たちの苦労は知らぬ歌である。文章にかかずらっていると、人間を書くことの不幸にきりなくはまり込んで行くように感ずるものだが、反対に所謂短詩形の文学からは、人生の表現について何か幸福な錯覚のようなものを与えられるのかもしれない》。
第二部に収められている俳句作品「ルナール『博物誌』小解」は少々変わった作りで、作者が偏愛するルナールの『博物誌』を翻訳ならぬ変奏したものという体裁になっている。たまに短歌も自在に混じる。
目つむれば彼処(かしこ)に見ゆる夏野かな
開巻第一頁、田園の作家の朝と夜。
白鳥
白鳥や雲から雲へ漕ぎながら
実は無為徒食でがちょうみたいに太った、見苦しい白鳥。
犬
暖とつて犬涙ぐむ囲炉裏ばた
猫
永き日や廂(ひさし)に猫のうしろ影
物思ふ猫の頭の拳固(げんこ)かな
豚
春泥を鼻でもあるく豕(いのこ)かな
新妻(にひづま)の衣裳(きぬも)のごとく艶(つや)めきて露(あら)はれにけり豚の臓物(もつ)はも
豚を穢(きたな)がるのは彼我共通だが、作者の日記には「豚の腹の中は嫁入り道具
みたいにぴかぴかだ。取り出したこの脂肪の布の、なんと美しい下着よ!」
とある。こういう神経から泰西画家は動物の解剖図のような絵を好んで描くのか。
雌やぎ
貼紙を山羊が嗅ぎ去る日の盛り
雄やぎ
男山羊匂ひが先に来たりけり
いたち
棲み棄てし鼬(いたち)の穴や春の草
とんぼ
谷水に眼を冷やしをる蜻蜓(やんま)かな
猫の頭が「拳固」ほどといった把握の即物的な手応えや、いたちやとんぼの句の沈潜に一抹の狽介が潜むようなコクが捨てがたい。やぎの句もいかにも。
《朝夕の新聞に五十歳代の死亡記事の多いこと。石原裕次郎もとよりだが、話を文壇に限っても磯田光一、前田愛、澁澤龍彦が最近相ついで逝った。ぼくらは遠くは山川方夫、柏原兵三、野呂邦暢、金鶴泳、大正生まれの最後も含めれば立原正秋と長谷川修を亡くしているが、不慮の事故は別としても、この世代の死はなにか凄絶だ》(p.176)。
怪芸人・トニー谷の死亡記事に触れた「昭和一と桁の心」というエッセイの一節だが、著者自身もこの本が出た翌年、昭和も冷戦も終わる1989年に、急性心不全のため55歳で急逝した。
1988年
『挽歌と記録』はいわゆる「内向の世代」を代表する小説家、密度の高い短篇の名手として知られる阿部昭の短歌、俳句、エッセイを合わせた一冊。
短歌は183首ほどが収められ、己の家族史や来し方を詠んだ作が主。《飯終へてつと立ちてゆく末の子にわが黙(もだ)する日はやも到りぬ》、また愛猫家だったこの作者らしく「雌猫」の前書のある《おのが家と思ひ居れこそ野に死ぬるけものもつひに畳に逝きぬ》といった歌を収める。
あとがきに曰く。《御覧の通り、いかにも単純な歌で、正式な勉強をしている人たちの苦労は知らぬ歌である。文章にかかずらっていると、人間を書くことの不幸にきりなくはまり込んで行くように感ずるものだが、反対に所謂短詩形の文学からは、人生の表現について何か幸福な錯覚のようなものを与えられるのかもしれない》。
第二部に収められている俳句作品「ルナール『博物誌』小解」は少々変わった作りで、作者が偏愛するルナールの『博物誌』を翻訳ならぬ変奏したものという体裁になっている。たまに短歌も自在に混じる。
目つむれば彼処(かしこ)に見ゆる夏野かな
開巻第一頁、田園の作家の朝と夜。
白鳥
白鳥や雲から雲へ漕ぎながら
実は無為徒食でがちょうみたいに太った、見苦しい白鳥。
犬
暖とつて犬涙ぐむ囲炉裏ばた
猫
永き日や廂(ひさし)に猫のうしろ影
物思ふ猫の頭の拳固(げんこ)かな
豚
春泥を鼻でもあるく豕(いのこ)かな
新妻(にひづま)の衣裳(きぬも)のごとく艶(つや)めきて露(あら)はれにけり豚の臓物(もつ)はも
豚を穢(きたな)がるのは彼我共通だが、作者の日記には「豚の腹の中は嫁入り道具
みたいにぴかぴかだ。取り出したこの脂肪の布の、なんと美しい下着よ!」
とある。こういう神経から泰西画家は動物の解剖図のような絵を好んで描くのか。
雌やぎ
貼紙を山羊が嗅ぎ去る日の盛り
雄やぎ
男山羊匂ひが先に来たりけり
いたち
棲み棄てし鼬(いたち)の穴や春の草
とんぼ
谷水に眼を冷やしをる蜻蜓(やんま)かな
猫の頭が「拳固」ほどといった把握の即物的な手応えや、いたちやとんぼの句の沈潜に一抹の狽介が潜むようなコクが捨てがたい。やぎの句もいかにも。
《朝夕の新聞に五十歳代の死亡記事の多いこと。石原裕次郎もとよりだが、話を文壇に限っても磯田光一、前田愛、澁澤龍彦が最近相ついで逝った。ぼくらは遠くは山川方夫、柏原兵三、野呂邦暢、金鶴泳、大正生まれの最後も含めれば立原正秋と長谷川修を亡くしているが、不慮の事故は別としても、この世代の死はなにか凄絶だ》(p.176)。
怪芸人・トニー谷の死亡記事に触れた「昭和一と桁の心」というエッセイの一節だが、著者自身もこの本が出た翌年、昭和も冷戦も終わる1989年に、急性心不全のため55歳で急逝した。
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