以前、豈weeklyに「ガニメデ」46号に載った鳴戸奈菜さんの50句を紹介したことがあったが、今回また鳴戸さんから同誌47号を頂いた。
鳴戸さんにとっては前回の作品「古池に秋の暮」が初めての50句一挙発表だったらしいのだが、今回の47号にも新たに50句「永遠が咲いて」を発表している。
なお「ガニメデ」は俳句雑誌ではなく、見返しには「今、大移動する言語。その履歴(ヒステレシス)を問う、詩歌文芸誌。」という文言がある武田肇氏編集の詩誌である。編集後記によると、過日2,000部に縮減するとした発行部数を3,000部に戻したということで、詩誌としては信じがたい部数。巻頭はたなかあきみつによる現代ロシア詩人、アンドレイ・タヴロフの翻訳。
以下、鳴戸奈菜「永遠が咲いて」から抄出。
落椿この世の人に踏まれけり
震度七いま変わりたる春景色
花の山下りつ髪の白くなり
歌いながら旗降る春や旗ちぎれ
鳴戸氏の句は湿っぽさがなくて一見無造作とすら見える思いきりのいい措辞に活力がある。この句などその好例。
新宿御苑サクラサクラと哄笑す
「サクラサクラ」自体は時々見かけるフレーズだが、それを蝶番にシュールな怪物じみた「哄笑す」と至極散文的日常的な「新宿御苑」という二つの世界が橋渡しされている。
と云いつつ七月の家出て行けり
永遠が咲いているなりモネの池
螢かな我から我が分かれゆく
生殖のためではなくて蜥蜴が二匹
複数性=複数の中心を持った楕円性ということについては以前豈weeklyの方に書いたが、ここでも生殖という有用性から離れて微細な不穏さを漂わせた蜥蜴が二匹。今回の50句には他に《影に影重なる緋牡丹また緋牡丹》《元旦のごとく丹頂鶴が二羽》《今年また木・林・森と紅葉黄葉》といった、重なり合いながら非意味性の方へとずれ動いていくような複数性が句もある。
老師いま金魚を綺麗に拭いて笑む
玉手箱そろそろ開けよう耕衣の忌
耕衣は言わずと知れた鳴戸氏の師で、懐かしんでいる感じが伝わる。
常人が玉手箱を開ければただでは済まないわけだが、耕衣の句というのはたしかに当人だけは無事のまま竜宮城的時空をあっさりと句の中に実現してしまっているようなところがあり、「玉手箱」が師の世界の寓意として出色。
利根川の秋に棲む人尋ねて留守
利根川は私にも身近な川で、関東平野の明るい平らな開け方の中での不在感というのも鳴戸さんならではの持ち味か。
故郷やうなだれて聞く祭笛
あまりに秋でついボタンを押したまで
逢いましょう薄の花が揺れる頃
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