思潮社
2008年
表題の「男たち」とは去年亡くなった俳人の秋山巳之流、その秋山が編集担当者だった作家中上健次という2人の死者を指し、冒頭に「秋山巳之流死す」の前書きのある「男たちのブルース俺は此処にゐる」が据えられている。
角川春樹は2005年から「俳句」の名称を捨てて「魂の一行詩」を提唱しており、有季にはこだわっていない。本書にも「句集」の文字はない。
尿袋(しとぶくろ)提げて銀河の人となる
二丁目に健次と巳之流のゐる霜夜
いづれゆく枯野の沖に光あり
枯葉舞ふ彼方に父の椅子がある
千枚漬紙漉(す)くほどの雪降れり
屯(たむろ)するスロットマシーンの赤い冬
コインロッカー北風(きた)吹く夜となりにけり
叛逆の十七文字や天の鷹
止り木の健次と秋を惜しみけり
生みたての玉子を買ひに陛下の日
ポインセチア母の視線の中に置く
銀漢の辺境にゐて年を越す
ニューヨーク時間の亀に鳴かれけり
警官がサックスを吹く建国日
春泥(しゅんでい)の夜はブルマンを挽きにけり
チェロ寝かせある朧夜の地下のBAR
モディリアーニの少女が雨の薔薇を剪(き)る
花あれば花の吹雪のなかに父
これは企業家・俳人・国文学者として立ちはだかった父・源義の「花あれば西行の日とおもふべし」を踏まえた句。
海へ出る非常扉につばめ来る
退屈な会長室の梅雨鯰
梅雨の夜のコインロッカー発光す
ジュークボックスの中は真つ赤なサマータイム
いくたびも母を泣かせて蝉しぐれ
対象への独自の把握を見せた句は少なく、都市生活の叙景の句に印象的なものが多い。
「なぜ生まれ何処(どこ)へ還るか冬銀河」「詩のつばさ飢餓海峡を越ゆるべし」「餅焼くや寂しきものを人といふ」など、人間探求派、ひいては短歌への傾斜を孕み、作者が過剰なものを抱え込んだ人なのでその「念力」で押し切っているが、これは基底材としての俳句形式の虐使・軽視と紙一重となり、根底からの非力へと転落しかねない。危ういが凡百の伝統句にない熱量があることも確かで、それだけは毀誉褒貶かまびすしいこの作者の死後にも虚空に放散され続けることに、おそらくなる。
角川春樹…1942年1月8日生まれ。角川書店元社長。俳人としては『花咲爺』で第24回蛇笏賞、『信長の首』 で芸術選奨文部大臣新人賞・俳人協会新人賞、『流され王』で読売文学賞受賞。父・角川源義が創刊し、母・照子が引き継いでいた俳句雑誌「河」を2006年から継承・刊行。
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