著者から贈呈いただいた本、『空塵秘抄』(角川書店)から30句ほど抜粋して御紹介。
恩田侑布子の第三句集で平成17年から20年の457句が収録されている。
カバーに伊藤若冲を用い、タイトルに梁塵秘抄をもじるあたりから、どういう美意識による作品群かが自ずと窺われ、「富士」とか「櫻」とか、大物を相手にした句で力を発揮する。
恩田さん当人とは、大南風忌のときに一度だけお会いした。
なお章題にもなっている「ひよめき」は、乳児の頭蓋骨のまだ接合していないやわらかい部分を指す。専門的には大泉門といい、生後1~3ヵ月で触れることが出来なくなる部分であるときく。
ひよめきや雪生(き)のままのけものみち
生まれたばかりでまだこの世に定着していない、頭頂部の奇跡のようなやわらかさ、それと生命の未出現が充満している新鮮なままの、細く険しいけもの道。この両者が暗喩的な関係で結びついていることは誰でもすぐに見て取れるが、この句の場合、それでは収まらないところがある。どちらがどちらの暗喩ともつかぬ、誕生の瞬間を持って分かたれる生と死のあわいの領域を、感触的連想だけで定着し得ていることである。秀句といえる。
初氷割ればはばたくモルフォ蝶
幾千の木の芽われらの天井に
野遊びのつひに没日の海へかな
おほぞらのひよめきしだれざくらかな
昨夜(よべ)呑みし雲吹き出づる櫻かな
浄玻璃の鏡にしだれざくらかな
角隠して夜櫻の待ちゐたり
夜櫻の奥へおくへと水鏡
来し方のすでに迷宮花筏
蛇行せし川とまた逢ふ春のくれ
藤くぐり一糸もまとはざる如し
うたて身に白酒たうたうたらりかな
どうにもならぬ過剰と不安定を抱え込んだものとしての身に、「たうたうたらり」と、翁ものの謡曲の出だしに現れる意味不分明な呪詞を擬音に引きつれて白酒が注がれ落ちる。心身の浮き立ちが白酒というハレの食物を介し、目出度い躍動感と聖性の領域へと浮かれ出る。
垂直な一筋の白酒が、他界への扉として立ち現れている。
千年の飛花に盲ひし蚯蚓かな
そよめきのそらみつやまと富士櫻
生も死も樹海の苔に蕩(た)らされて
裏富士や天空をゆく座頭蜘蛛
撲りこむ夏鶯や富士の肚
風穴の滴り心臓が二つ
富士新雪不死のくすりを灼きすてて
富士までの空なにもなき寒さかな
大年や叩頭したる富士の闇
冬の天(そら)富嶽のほかを容(い)れざりし
富士の肚幽霊茸の足探る
霊峰の光を曳いて鹿の尻
汝と我幽く点りて蛍狩
瀧音の響(とよ)むところを丹田と
はじめ瀧と体内感覚とにコスモロジー(それも観念的にではなく、しっかりと身の入った)を見出した句、と単にそれだけの鑑賞で止まっていたところ、さる知人の女性から、女の句として凄みがあるとの指摘を受けた。響む丹田=子宮=覚悟ではないかと。
身の入ったといえば、男性読者には思いおよびにくい、まことに身の入った受け取りようで、しかしその性別的生との癒着に近い局面から、この句は個人個人の内面を自然に、優しく空無化していき、膨大な力の現前へ合一するよう使嗾する。その合一の残余のように居残る性の悪い《我》をこそ、一つの妙境と呼ぶべきか。
空つぽの幾年香水壜のまま
うなづいていま流燈になる母よ
花野かと踏み入り古墳又古墳
栞に芥川賞作家の三木卓、ドイツ文学者の池内紀、仏教学者の末木文美士が推薦文を寄せている。
恩田さんの句会仲間でもあったらしい池内氏は「一湾の夕日ぼうたん運びゆく」を引き、こう結ぶ。
「つづいてぼうたんが五句出てくる。「ぼうたん」とは何であるか?
知らなくてもかまわない。恩田侑布子が勝手に名づけたのかもしれない。言葉に迷いながら、気がつくと小さいおはなしを耳ちかくで一心に聴いている。」
「ぼうたん」は牡丹のことである。
池内氏が歳時記を引くか、ネットで検索するかしていれば、この達意の文の末尾は違ったものになっていただろう。
> ひよめきや雪生(き)のままのけものみち
新生児を診察する(しているんですけれど)身としては、
とてもよくわかる句です。
とっても「ひよめき」はやわらかくてあったかくて気持ちいい。
それから、まだまだいつ亡くなるか、元気そうにみえてもわからない場所にいる神聖さ。
「ひよめき」を竹串で一突きしただけでも脳障害と感染で殺せるくらい無防備さ。
凄くステキな句だと思います!
花野かと踏み入り古墳又古墳
なんかそんな所にいったら、とっても幸せすぎて死んでしまうかも!
とイメージしましたが、そういえば古墳って石室がむき出しの場所では
冷たくて怖くてゾッとします。(絶対に中に入りたくありません。)
俳句はいろいろな角度から鑑賞ができるのがいいところだと思うのですが、
不安感、先の見えなさ感、不気味さ、迫ってくる夕暮れ(勝手な想像。)
恐ろしい句だと考え直しました。
恩田侑布子さんという方は、とても凄い句を書かれる方ですね!
投稿情報: 野村麻実 | 2008年11 月 8日 (土) 10:13
>野村麻実さま
ひよめき、素人には怖くてさわれない感じがしますよ。
花野と古墳の句、古墳自体はうちの近くにもあるもので(それも半ば自然に返ってしまってただの丘にしか見えないのが)、個人的には却って神秘性が感じにくくなっていますが、歴史の重層と古代の人の実存がいきなり立ち現われ、それがまた様式美に収まったような句ですね。
投稿情報: 関悦史 | 2008年11 月 8日 (土) 18:51