「現代詩手帖」は別冊は作らず、毎年12月号をそのまま「現代詩年鑑」として刊行している。
その最新版「現代詩手帖」2011年12月号現代詩年鑑2012が届いた。
高橋睦郎『何処へ』の書評の依頼が急に来て、拙稿も載ったためである(今まで詩集について何か書いたことなどほとんどなかったはずなのだが)。
相当な大冊の上に、今年の年鑑としては避けがたいのことなのだろうが、震災にかかわる記事がいたるところにあり、精神的にも分量的にも読み通すのが容易ではない。
序盤に「震災以後の詩の言葉」という特集が来ていて、その中の佐藤雄一「震災と詩とリズム」が、長谷川櫂『震災歌集』批判におよそ1ページ半を割いているので、その項の末尾の一節を紹介しておく。
《長谷川は、この歌集を最後に短歌はもう書かない、と公言しています。震災にすばやく対応するために、手際よく短歌やジャーナリズムに業務を切り替え、次々と「正答」をだし、一定の結論をだしたのち、すみやかに日常業務に戻る、ということでしょうか。震災時に、こんなふうに優秀な官僚がたくさんいたらな、とおもわずにはいられません。おそらく、解決していない問題を、解決しているように見せかけて安心させてくれるでしょうから。》
長谷川櫂に関しては私も「豈」52号の「被災の記」で批判している。
《屋根復旧の目途が立たず、雨音を異常に恐れるようになったほか今特に不便はないが、日の流れに取り残されるようで、気を抜いたら自然に首を吊りそうな気もする。俳句はしばらく作れなかった。長谷川櫂氏が、こんな状況で句や歌を作る気がしないという声も聞くが、それは詩歌が無力なのではなく、そういう人の作品が無力なのだと書いていた。テレビを見ている側はともかく、被災地で自失している者にとって、これは石原都知事の天罰発言に等しい言葉の暴力だった。「かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを 長谷川櫂」。被災地の個人個人を数量化して片付けているのは長谷川氏自身ではないかと思った。》
犠牲者を安易に数量化するなと周囲に抑圧をかけつつ、まさにその抑圧をかける行為によって自分のみには特権的に数量化を許すレトリックである。
震災発生の遅くも2日後には長谷川櫂は震災詠を募集するブログを立ち上げていた。私がまだ激震と停電の中、飲み水を求めてをさまよっていた頃である。電気が復旧して自宅に戻り、パソコンをつけたら既に出来ていた。
*****************************************************
Eurythmics - Sweet Dreams (Are Made Of This)
コメントを投稿
コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。
アカウント情報
(名前は必須です。メールアドレスは公開されません。)
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。