台風が続けて来だした頃からまたやたら眠気が出るようになり、本も読めなくなっていった。
献本いただいた句集なども全部拝読しているが、ブログに上げるのが全然間に合っていない。
高瀬正仁『ガウスの数論 わたしのガウス』ちくま学芸文庫・2011年
《19歳の青年ガウスは、寝床から起きようとしたそのとき、正17角形の作図法を思いついた。それはユークリッド以来の大発見だったが、彼はその先を見通していた。「これはいっそう広範なある理論の系題にすぎない」。初等幾何に露頭した広範な理論とは数論である。古来それが「秘法的な数」のコレクションであったのに対し、ガウスが目ざしたのは数と数の相互関係。無数にある数を同類でくくった合同式の世界を創造し、予感のなかに見え隠れする基本定理を生涯を賭けて捜し求めた。その歩みを数学的に忠実に再現しながら、創造の不思議に迫つた原典講読。「わたしのオイラー」に続く第2弾!》
五木寛之『白夜の季節の思想と行動』角川文庫・1973年
《革命から流行歌まてで――第一線の作家・詩人たちと自在なテーマで縦横に論じ、語りながら、主体と影、敵と味方の区別の混沌とした“白夜”の70年代の時代情況と、その中に“デラシネ”として生きる白身の思想を明らかにする、五木寛之対話シリーズの第一冊。》
五木寛之『白夜物語』角川文庫・1971年
《明けるとも暮れるともつかない妖しい薄明が、街と森と湖をつつむ北欧の夜――の白夜の中に展げられる愛と孤独と憂愁のドラマ。常に新しい感覚で若い世代の圧倒的な共感を得ている俊英五木寛之が、北欧を舞台に執筆した秀作小説四篇に、ノルウェー画家エドワルド・ムンクの鮮烈な版画十余点を添えた五木ファン待望の書である。》
収録作品=霧のカレリア/夏の怖れ/白夜のオルフェ/ヴァイキングの祭り
鶴見太郎『民俗学の熱き日々』中公新書・2004年
《柳田国男は、歿後四〇年を過ぎても、いまだに日本の学問・思想界に絶大な影響力を保っている。しかし、彼が独力で開拓したと言っても過言ではない民俗学は、その後、独創的な継承者を得られず、彼一代の学問として燦然と輝いているのである。本書は、民俗学の黎明期にあった柳田の詩的な精神が、民俗学者ではなく、むしろ異分野の研究者、思想家、作家などに受け継がれていった経過を、丹念に追跡する試みである。》
猪木武徳『戦後世界経済史』中公新書・2009年
《第二次大戦後の世界は、かつてない急激な変化を経験した。この六〇年を考える際、民主制と市場経済が重要なキーワードとなることは誰もが認めるところであろう。本書では、「市場化」を軸にこの半世紀を概観する。経済の政治化、グローバリゼーションの進行、所得分配の変容、世界的な統治機構の関与、そして「自由」と「平等」の相剋――市場システムがもたらした歴史的変化の本質とは何かを明らかにする。》
R・A・ラファティ『昔には帰れない』ハヤカワ文庫・2012年(ヒューゴー賞)
《笛の音によって空に浮かぶ不思議な“月”。その“月”にときめいた子供時代の日々は遠く……表題作「昔には帰れない」をはじめ、神話的な過去と現在を巧みに溶かしあわせた「崖を登る」、悩みをかかえる奇妙なエイリアンがつぎつぎに訪れる名医とは……「忘れた義足」、ヒューゴー賞受賞に輝く奇妙奇天烈な名品「素顔のユリーマ」など、SF界きってのホラ吹きおじさんの魅力あふれる中短篇16篇を収録した日本オリジナル傑作集。》
収録作品=素顔のユリーマ/月の裏側/楽園にて/パイン・キャッスル/ぴかぴかコインの湧きでる泉/崖を登る/小石はどこから/昔には帰れない/忘れた偽足/ゴールデン・トラバント/そして、わが名は/大河の千の岸辺/すべての陸地ふたたび溢れいづるとき/廃品置き場の裏面史/行間からはみだすものを読め/一八七三年のテレビドラマ
栗本慎一郎『パンツを捨てるサル―「快感」は、ヒトをどこへ連れていくのか』カッパ・サイエンス・1988年
《いま、パンツを捨てる時が来た
著者のことば
ヒトは、パンツをはいたサルである。パンツは、ヒトを人間たらしめているものだ。このパンツは、それを脱ぐときの快感のためにある。これが、栗本理論、すなわち過剰=蕩尽理論の核心である。
そしていま、ついにパンツを脱ぐときがやってきた。それだけではない。脱いだパンツなら、洗濯しなおしてもう一度はくこともできる。だが今度は、脱ぐだけでなく、捨ててしまわなければならないのだ。その結果、ヒトはヒト以外の生物に「進化」するだろう。それは同時に近代社会の崩壊を意味している。
では、何かヒトをその上うな状況に追い込んでいるのか? その真犯人をたったの七百三十円であなたに教えてあげるのが、この本である。》
《栗慎と抱き合ってみられよ――――――――――――――評論家 西部邁
栗慎がエンターテイナーであるのは、その語源どおりの意味においてであって、つまりは「抱き合う」のが本性であり習性である。相手が観念であろうが実在であろうが、栗慎はそれらの近傍にまで肉迫し、そこに彼我の体温が相乗する熱い圈域を形成する。だから栗原の語りには愛と憎しみが高密度に含まれている。それはしばしば本人が辟易する程度にまで高まるわけで、ときおり学者ぶった分析を冷ややかにやってみせるのは、約すれば、発電所に冷却水が必要なのと同じである。パンツをはいた栗慎と抱き合うのは社交の頬擦りにも似た心地よさを与えてくれるのだか、さて、それが脱がれたとなると、勇者ならぬ身は尻込みするであろう。その怯懦こそ、この発狂も同然の世紀末に吸い込まれる第一歩となるのだ。読者はなけなしの勇気をはたいて栗慎とよろしく抱き合ってみられよ。そうすれば、理性以外のすべてを失ったものとしての狂気から、逃れることもできるだろう。》
円堂都司昭『ゼロ年代の論点―ウェブ・郊外・カルチャー』ソフトバンク新書・2011年
《ゼロ年代に批評は何を論じてきたのか? 注目すべき多くの書籍を通して、ゼロ年代の論点を文芸・音楽評論家が浮き彫りにする。そこから見えてくる従来とは異なる表現のかたちやネットの影響力、そして街並みの変容などは、まさに現在考えるべきテーマだ。本書はブックガイドとしてはもちろんのこと、ゼロ年代に論じられた幾つものポイントをナビゲーションする役割も果たすだろう。》
フレドリック・ブラウン『さあ、気ちがいになりなさい』ハヤカワ文庫・2016年
《記憶喪失のふりをしていた男の意外な正体と驚異の顛末が衝撃的な表題作、遠い惑星に不時着した宇宙飛行士の真の望みを描く「みどりの星へ」、手品ショーで出会った少年と悪魔の身に起こる奇跡が世界を救う「おそるべき坊や」、ある事件を境に激変した世界の風景が静かな余韻を残す「電獣ヴァヴェリ」など、意外性と洒脱なオチを追求した奇想短篇の名手による傑作12篇を、ショートショートの神様・星新一の軽妙な訳で贈る。》
収録作品=みどりの星へ/ぶっそうなやつら/おそるべき坊や/電獣ヴァヴェリ/ノック/ユーディの原理/シリウス・ゼロ/町を求む/帽子の手品/不死鳥への手紙/沈黙と叫び/さあ、気ちがいになりなさい
清水一行『燃え盡きる』角川文庫・1980年
《癌ではないんだ! 牧田は胸の中で叫んだ。そうでなければ、開腹の執刀にあたった医者が自分に対し、癌研究基金の寄付を申し出るはずがない。牧田は、いまにも躍り出したい衝動にかられた。「何をぼやぼやしている。会社へ帰るぞ!」見舞いに来ていて、いきなり牧田に怒鳴りつけられた会社の幹部たちは、俄かに活気を取り戻した社長を呆然と見つめた……。
全三菱企業集団の収益は日本のGNPの10%を占める。そのリーダーとして活躍した三菱重工社長牧田與一郎が、不治の病と戦いながら仕事に打ちこんだ晩年の凄絶な生きざまを描く傑作長編。》
澁澤龍彦責任編集『血と薔薇 コレクション3』河出文庫・2005年
《エロティシズムと残酷の飽くなき追究の果て、浮かび上がる「愛の思想」。愛の本質とは何か。いかにして愛は可能なのか。本書に収録された写真、詩、エッセイ、小説作品が、それらの問いになんらかの答えを与えるだろう。篠山紀信、田村隆一、巖谷國士、中田耕治、野坂昭如など豪華布陣による最終巻、幻の雑誌の雰囲気を踏襲しつつ、ここに完結!》
ハンス・ゲオルク・ヴンダーリヒ『迷宮に死者は住む―クレタの秘密と西欧の目覚め』新潮社・1975年
《この興味深い大冊の内容をひとことで言ってしまえば、クレタの迷宮、ひいては「ミノア文化」に関するアーサー・エヴァンズの説に対する大胆な挑戦である。古代クレタのクノッソス宮殿は開明的な君主の居城で、そこでは明るい優雅な生活、排水設備のある浴室や水洗トイレまでも備える文明生活が営まれていた、という見解の上に立って、エヴァンズはこの宮殿の復元を行った。この復元に対して、これまでにもすでに疑惑が抱かれなかったわけではないが、学界の大勢はやはりエヴァンズの説に傾いていた。きめ手となる有力な反証があげられなかったからである。
ヴンダーリヒのこの著書は、このような状況の中へ投げ込まれた強力な爆弾と言ってよい。
(中略)
このような観察を手がかりに考察を進めた結果、ヴンダーリヒは、クノッソスの宮殿が、生きている人間の住んだ豪華な宮殿ではなく、死者の宮殿であった、という驚くべき結論に到達する。》(「訳者あとがき」より)
薗田宗人編『ドイツ・ロマン派全集第20巻 太古の夢 革命の夢―自然論・国家論集』国書刊行会・1992年
《詩人たちは世界をロマン化した。自然を、歴史を、国家を。全てが幻視の対象となり、あらゆる学が詩学となった。G.H.シューベルト、リッター、ノヴァーリスらが時代の転回の中で見た、きらめく夢の断片集。》
中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』集英社新書・2004年
《偉大な歴史学者の網野さんは、僕の素敵な叔父さんだった。
日本の歴史学に新たな視点を取り入れ、中世の意味を大きく転換させた偉大な歴史学者・網野善彦が逝った。数多くの追悼文が書かれたが、本書の著者ほどその任にふさわしい者はいない。なぜなら網野が中沢の叔父(父の妹の夫)であり、このふたりは著者の幼い頃から濃密な時間を共有してきたからだ。それは学問であり人生であり、ついには友情でもあった。切ないほどの愛を込めて綴る「僕と叔父さん」の物語。》
半村良『どぶどろ』新潮文庫・1980年
《時は寛政、汚職の田沼去って松平きたるという御時世に、山東京伝に心酔する銀座町屋敷の下僕、古の字の平吉は忠義一途に働いてきた。ある日、夜鷹蕎麦屋の爺さんが殺され、岡っ引として動きはじめた平吉は、銀座に不正の影が取り巻いているのを感じとったが……。江戸庶民の、“どぶどろ”のような生きざまを巧みに写しとった話を積み重ねながら悪の本質に遣る大江戸世話ミステリー。》
栗本慎一郎『意味と生命―暗黙知理論から生命の量子論へ』青土社・1988年
《「突然変異的に人類が全く新しい種属に変わろうとしている!」という大胆な仮説を、ヒトの心(意味)と身体(生命)の相関という古典的テーマに触れつつ展開。『パンツをはいたサル』の理論的背景は全部ここに集約されるという創見に満ちた栗本学の決定版。》
四方田犬彦『ハイスクール1968』新潮社・2004年
《ビートルズも、三島由紀夫も、毛沢東も、まだ生きていた。1968年、15歳の少年は、ジャズと漫画と詩を求めて新宿へ向かった。反体制運動と若者文化は彼にどんな洗礼を浴びせたか? 話題沸騰の批評的自伝。》
司馬遼太郎『新史 太閤記(上)』新潮文庫・1973年
《日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し”の天才、豊臣秀吉。生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。古来、幾多の人々に読みつがれ、日本人の夢とロマンを育んできた物語を、冷徹な史眼と新鮮な感覚によって今日の社会に甦らせたもっとも現代的な太閤記である。》
司馬遼太郎『新史 太閤記(下)』新潮文庫・1973年
《備中高根城を水攻めのさなか本能寺の変を伝え聞いた秀吉は、“中国大返し”と語り伝えられる強行軍で京都にとって返し、明智光秀を討つ。柴田勝家、徳川家康ら、信長のあとを狙う重臣たちを、あるいは懐柔し、あるいは討ち滅ぼすその稀代の智略は、やがて日本全土の統一につながってゆく。常に乱世の英雄を新しい視角から現代に再現させる司馬遼太郎の「国盗り物語」に続く戦国第二作。》
佐野洋『蹄の殺意』集英社文庫・1981年
《聖岡特別レース――、ベテラン騎乗の第一本命シルバーネックが着外に落ちた。ビデオテープでレースの再現中、勝鞍をとった前尾敬二騎手はシルバーネックの動きにある種の疑惑を抱き、単独で事の解明に乗り出した……。競馬界に根深く巣くう複雑な仕組の八百長事件を、鋭く挟る本格推理。 解説・吉村達二》
佐野洋『貞操試験』集英社文庫・1983年
《隈取市に住む与謝野金融社長・山陽老人は、事業後継者の候補として、二十代の独身男女五人を選んだ。現在特殊な関係にある異性と、一週間以内に別れることを始め“貞操試験”として、三つの条件が提示された。苦しい事情のなかで、お互にお互を失格させようと暗躍する。その上、巧妙に仕組まれたトリックもあり…。それぞれの章が独立、連続短篇の形をとる楽しい犯罪小説。 解説・青木雨彦》
佐野洋『片翼飛行』集英社文庫・1977年
《新手のハイジャックか?
NWA航空はなぜハイジャック事件を否定するのか?
アマチュア飛行クラブの五人は何を目的にし、事件に介入してくるのか?
一人のホステスの死と彼女をめぐる外人パイロットや男たちに立ちこめる黒い霧の渦。飛翔する推理を佐野洋が軽快にさばく。 解説・増田れい子》
ガストン・バシュラール『空間の詩学』ちくま学芸文庫・2002年
《家、宇宙、貝殻、ミニアチュール―人間をとりまくさまざまな空間は、どのような詩的イメージを喚起させるのか?物質的想像力の概念を導入して詩論の新しい地平を切りひらいてきたバシュラールは、この「科学的客観的態度」に疑義を呈するところから、本書を始める。人間の夢想を物質的相からとらえる態度は、「イメージの直接的な力に服従することを拒否することではないか」と。本書では、詩的イメージの根源の価値を明らかにするために、詩的イメージとイメージを創造する意識の行為を結合する、新たなる想像力の現象学を提唱する。バシュラール詩学の頂点をなす最晩年の書。》
サイモン・シャーマ『風景と記憶』河出書房新社・2005年
《原初の森に分け入り、生と死の川をわたり、聖なる山に登る──人間は風景をどのように見、創りあげてきたか。歴史学に豊饒な新地平を拓く風景論の名著。図版300点。中沢新一氏推薦!》
深田久弥『日本百名山』新潮文庫・1978年
《それぞれに旧い歴史をもち、文学に謳われ、独白の風格をそなえてそびえたつ日本の名峰百座。――著者は、長い年月をかけて、北は北海道の利尻岳から南は屋久島の宮ノ浦岳にいたるまで、それらすべての山頂を極めつくして、本書を綴った。日本人の生活に深く結ばれ、私たちの精神的風土の形成に大きな影響を与えてきた山々の個性を、短い文章のうちに、見事に際立たせた名著。》
橘外男『棺前結婚―探偵怪奇小説選集』広論社・1975年
《夢野久作の天衣無縫の語り口、久生十蘭の巧緻を尽くした小説技法に比べて、橘には混沌とした未完成の魅力がある。彼の作品は自己の体験談に仕立てた冒険小説、秘境を舞台にした人獣の交渉怪奇小説、自己の過去を告白した作品と、おおまかに四種に分けられるが、一種の泥臭さが彼の身上であり、むしろ冗長とも思える饒舌にその特色が発揮されている。ひと口で言い表されぬ素人っぽいあら削りの中に橘外男でなければ書けぬ世界と文体があって、無気味な妖翳を漂わせているのである。
(中略)
著者は家常茶飯のリアリティーを忌み、情愛の昂揚を捉えようとした。時としては情緒に浸りすぎた場合もないではないが、平板を避けて対象に専念したあまりといえぬこともない。絢爛たる業績を紹介するには、まだこれだけではもの足らないが、顧みなさすぎる著者の一端を供しただけでもうれしい。》(中島河太郎「解説」より)
収録作品=蒲団/聖コルソ島復讐奇譚/逗子物語/生不動/マトモッソ渓谷/殺人鬼と刑事/棺前結婚/雪原に旅する男
小林久三『赤い鳩が死んだ』角川文庫・1980年
《無名女優の葉子が、その男と出会ったのは明け方に近い夜だった。その時、彼女は信じていた愛人と別れを告げ、放心状態であてもなく歩いていた。男は画家の卵で、近くの公園で鳩を血のように赤く塗りたくっている姿を時おり見かけた。男との奇妙な出合い――それが、彼女が“殺人の罠”におちこむはじまりだった…。
平凡な日常生活を営む若き女性をヒロインに、ある日突然、殺人事件にまきこまれ、愛する男性を奪われ、女としてのささやかな夢や希望をもぎとられていく事件を描いた異色推理集。》
収録作品=赤い鳩が死んだ/幻の女/死を呼ぶ電話/日曜日に何をしますか?/氷雨の迷路・死を呼ぶ電話/垂直の罠
小林久三『裂けた箱舟』角川文庫・1979年
《コペンハーゲンの空港は霧にしずんでいた。社運を賭けた超大作「影の白書」の重要シーンの撮影が、いま始まろうとしている。
――鋭い金属音を響かせジェット旅客機が飛び立った。車輪格納室に装備されたダミー(人形)を落下させる瞬間、ピカッと光った。落ちていくダミーの腕時計が反射したに違いない。
〈だが、妙だ。あれは人間では?〉
そんな馬鹿なことがあるはずがない! その直後、主演女優が謎の失踪。もしや、あの時のダミーは……。
斜陽化した映画界を、再び甦えらせようとし、男たちのむき出しの情熱がこの事件を誘発した。
鬼才、小林久三会心の本格長編推理。》
五木寛之『ヤヌスの首』文藝春秋・1985年
《紀州の秘境、竜神村の旧家に眠るアール・デコ美術の膨大なコレクション。世界中のコレクターが狙うラリックの幻の名作の追跡を依頼されたアルバイト学生は、セクシーな謎のブルガリア娘とともに双面のヤヌス像を追って、秘境竜神村から退廃の国際都市、ロスからインドへと飛ぶ。青春知的冒険小説。》(「BOOK」データベースより)
五木寛之『フランチェスカの鐘』新潮社・1988年
《真紅のケシに彩られた中世都市アッシジの夏。美貌の青年演出家をめぐって妖艶な謎の夫人と若く大胆な娘が織りなす危険な情事の結末は? 愛とエロスの物語。》(「BOOK」データベースより)
五木寛之『風の王国』新潮社・1985年
《黒々と闇にねむる仁徳天皇陵に、密やかに寄りつどう異形の遍路たち。そして、次第に暴かれる現代国家の暗部……。戦慄のロマン。》
山田風太郎『風来忍法帖』角川文庫・1976年
《――天正十八年三月末、関白秀吉の北条攻めが始まった。その頃、小田原城近辺に、いずれも一癖ある、七人の香具師が暗躍していたのである――
生死を共にする固いチームワークで、血みどろの戦場を駆けめぐり、金品武器の略奪から果ては強姦まで無頼の限りを尽していた彼らは、ある目的のため偉大な忍者風魔小太郎のもとへ弟子入りした。そして苛烈な忍法修業の末、七人に与えられた卒業試験のテーマ、それはなんと、「秀吉の旗印千成瓢輦を盗む法」という難問題だった。生かじりの忍法と持ち前の要領の良さで健闘する、彼らの珍妙無類の活躍は?
奇抜な発想で度肝を抜く山田風太郎の傑作忍法帖!》
橘外男『ある小説家の思い出(上)』中公文庫・1978年
《異色の推理作家・大衆作家として聞えた著者の、奇しくも絶筆となった長篇自伝小説。
劣等中学生の少年期から始まりゆがんでしまった青春の日々、そして一転奮起し、専門試験に合格するが………。
(上下二巻)》
橘外男『ある小説家の思い出(下)』中公文庫・1978年
《慈善奉仕の打算、恩と愛、人間の裏表をつくづく思い知らされた著者は、これほどまでに自らの青春の過ちを自らただしていた――異色の推理・大衆作家として問えた著者の絶筆となった長篇自伝小説。
(上下二巻)》
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