「翔臨」(編集発行:竹中宏)第78号(2013年10月)から。
シリーズ《わたしにとって「有季定型」とは》のまとめのような文章を彌榮浩樹が書いている。
《それぞれの文章を身につまされながら読みつつも、「ここには真に語られるべき大切なことが書かれていない」とも感じてしまった。》
《僕の俳句づくりにおいてさらに決定的に重要なのが「俳」だ。》
《(無季・自由律は、俳句であっても「俳」句でない。ピュア過ぎるのだ。僕は、だから、そうしたものはつくらない。)》(彌榮浩樹「「俳」の母胎としての形式――“僕”にとっての「有季定型」」)
この秋も投網はしぼむがに開き 竹中 宏
去年今年みやげをかたみと誤訳のまま
畑を打ちはじめ顱頂を掘りすすみ
蝶となり荘子を忘れ増殖す
流れゆく西瓜の皮に歯型あり 小林千史
亀鳴くや釈迢空の喉仏 小笠原信
秋の暮バックネットのうしろは海 加田由美
藪枯らし剥せば重き母の恩 小山森生
たけなはの酸漿の朱をあきなへる 中田 剛
少年に胸抓まれて咽ぶ蝉 中村紅絲
夏休み祖母の箪笥のかん鳴らす 八島惠利
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Brahms: 1. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Stanisław Skrowaczewski
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