第2次「未定」(編集発行:未定編集部=高原耕治)第96号(2013年11月)から。
特集は「多行形式の原点と現代俳句」。
《この《存在学》の機能は、あらゆる存在の場面に通底してゆく。したがって、それは、俳句にも、その根源から窮極にわたって作用しているのであって、私見によれば、《存在》の内部に踏み込み、俳句自体を揺さぶり、そこに変革を齎すには、多行形式を実践する以外に無いのである。なぜならば、多行形式には、必ず、《改行》の力学が機能しているからである。一行目の截断の後に続く無限空白(※原文傍点)。それは二行目の言葉の定置によって初めて生じ、そこに言葉と無限空白(※原文傍点)との拮抗的呪縛作用が齎される。》(高原耕司「多行形式の坑道」)
網膜を
占むる葉櫻
狂奔の
風車と成れり 高原耕治
山越(やまごし)に
影(かげ)うっすら
傾(かし)ぐ
方舟(はこぶね)の殘骸(ざんがい) 田辺恭臣
私という函
貴方という函
燈籠の燈に
透かされて 村田由美子
僕は
屑籠の
拾い物である
光を纏って 山口可久實
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Iancu Dumitrescu: Sound Source ( 2011)
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