「震災二周年、いま俳句表現者として」という小特集があり、志賀康氏と私が寄稿。
《志賀氏の文中には「原初的なものへ」、関氏のそれには「終末のヴィジョン」の語がある。当然のことながら、震災を句材という範疇に投げ入れてすますわけにはゆかない。》(竹中宏、編集後記にあたる「地水火風」より)
隠(こも)り滝たとへば女帝の背に僧形 竹中 宏
スキンヘッドの紐は眼帯雲の峰
白牡丹三人遣ひに泣き伏せる 加田由美
ある時は狂喜の桜子ら咥へ 小林千史
うねくりてここに蚯蚓の乾きける 中島 博
ニューヨークに空爆せんと銀杏の黄 小笠原信
玉一個喉にあるのがラムネ壜 岩井未知
客観といふは横顔アマリリス 小山森生
鰯雲一度も降りぬ駅つづく 小笠原京
落葉松はいま少年のうすみどり 宮下初子
漕ぐをやめ舟ゆだねたる春の水 島田刀根夫
水底の靴跡に蝌蚪犇ける 尚山和桜
高層都市の燈の連らなりへ鬼やらふ 中村紅絲
美少年遅れて走る寒稽古 八島惠理
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LUIGI NONO - La lontananza nostalgica utopica futura
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