「豈」第52号(2011年10月)から(私の所属誌である)。
巻頭の新鋭招待作家欄(各12句)は生駒大祐、清水かおり、種田スガル、冨田拓也、本多燐。
他に今号から同人となった成宮颯の20句と、佐藤成之の震災詠の大作「想定外の春」が巻頭に。
愛抜けし隙間へ百合を売りに来る 生駒大祐
夢削ぎの刑かな林檎剥くように 清水かおり
乾いた果実と投げ出すあなたを待つ時間 種田スガル
缶詰は荒星として開かれぬ 冨田拓也
白南風や甲状腺のすきとほる 本多燐
家族が残響する緑陰 成宮颯
現実は懐中電灯で見えるもの 佐藤成之
自己表現不能粉々なる遅日
特集が3本あって「被災記」「前衛は生きているか、伝統は死んだか」「ジャンルの越境」。
特集「被災記」に私も「被災の記」というそのままのタイトルのを載せていて、これを読んで始めてこちらの情況を知り、仰天したというネットをやっていない方々からまた新たに連絡をいただいたりもした。
読み返してみたら誤脱がひどくて日本語になっていない箇所が幾つもあった。被災3ヶ月時点で書いたものだが、体調のボロボロぶりがそのまま反映したのだろう。誤脱も含めてドキュメントとして読んでいただければ幸い。
以下、同人作品(基本的に各20句発表)から。
虎が雨吸殻ひとつさえ遺品 青山茂根
金魚玉抱えさびしき背の筋力 池田澄子
(200年後 天気のいい日に話します) 伊東宇宙卵
球體の身の九穴ののこんぎく 丑丸敬史
空 遥かなる墓へ日盛りの白い傘 大井恒行
月蝕をアインシュタイン欠席す 岡村知昭
天の柩(とぼそ)揺るがす鉾を回しけり 恩田侑布子
木下闇 柱時計に死斑あり 神山姫余
わたつみの大き渦より初蝶来 倉阪鬼一郎
タクラマカン砂漠や卵かけごはん 鍬塚聰子
隠し部屋話し相手がいるらしい 小池正博
かぎろいは見えず原子炉燃えており 五島高資
カーナビにうつらぬ道の余花に逢ふ 堺谷真人
流木のまっすぐ置かれ夏座敷 坂間恒子
しなぷすへ 酒巻英一郎
あをみわたれる
あげひばり
淡い蝶といってみただけ近江ゆく 佐藤榮市
三人称から一人称へ浮いてこい 須藤 徹
地震の夕薔薇燃え尽きたやうな空 関根かな
カーテンのすきまの影や夏休み 妹尾 健
月蝕や珊瑚に化けし少女たち 高橋修宏
神童も美童も土用波の果て 高橋比呂子
きれ より も ぎやくぎれ だいじ ぜんえゐは 高山れおな
ワンスモア September love都山流 多仁 竝
夢の中で茸を食うて当たりけり 筑紫磐井
笹鳴や思へばすべて些事ばかり 秦 夕美
母方にありとあらゆる茹で卵 樋口由紀子
夜もすがら転生願うガジュマルの気根 藤田踏青
あらためて奇跡のブタと生きてゆく 堀本 吟
サングラス外して蝮皿料理 真矢ひろみ
和箪笥に義捐金駅に住んだわ 宮崎二健 (※回文俳句です)
天上に吊られし卵祈りの形 森ひさ子
空蝉は巨木に数多の童心 森須 蘭
瓦礫とは言われたくない月下の雛 山崎十生
大所帯なのでこれでもまだ拾えていない作者が多数。
連載は大本義幸「私の履歴書① 密漁船待つ母子 海光瞳を射る朝」、救仁郷由美子「永劫の縄梯子―『四大にあらず』と共に―」(安井浩司論)。
髙柳克弘の特別寄稿「季語の力とは」は、『現代詩手帖』2010年6月号座談会での髙柳発言に対する井上弘美の疑義(豈51号掲載)への応答。
なお岡村知昭は来月出るアンソロジー『俳コレ』に入集。
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FURA S.展「SUGAR MOUNTAIN:竜安寺のピエタ」佐賀町エキジビット・スペース(Sugar Mountain @Sagacho Exhibit Space)
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