銅林社
2011年
武田肇の新著『句集 二つの封印の書 二重フーガのための』は、さきの第4句集『ダス・ゲハイムニス』からわずか1年での上梓となる第5句集。昨年10月以降の1,242句から、410句を収める。
表紙には「アーデルハイトの封印」、裏表紙には「エーリスの封印」と大書されていて、これらが表題に見えるが、中身の活字はべつに両開き対応で組んであるわけではなく普通の並びで、本の表題はこの二つを総括して上記の「二つの封印の書 二重フーガのための」となるらしい。
跋文に曰く。
《俳句は気味悪いオブジェだ。
これは文字數の極端に限られた三句體(五・七・五)に由来する。主語・述語の文の成分が十七音の特殊領域まで押し潰され粉碎された經緯から、しばしば複數の観念が無意識に混淆された。言語のこの不均衡なまざり合ひを、フロイト流に敢へて汚染Kontaminationと言はう。これを要するに、俳句とは、言語の名誉ある機能不全にほかならない。今囘の第五句集で、現代詩の俳句への「アリス」的まぎれ込みを、そのやうに見てゐる。》
先ごろ出たばかりの「豈」52号の特集の一つが「ジャンルの越境」だったのだが、現代詩から俳句への《「アリス」的まぎれ込み》すなわち不思議の国のアリスならぬ俳句の国の詩人とは、こちらの予想しなかった「越境」の魅惑的なモデル。
もっともこのまぎれ込んだアリス当人にしてからが、老若男女いずれともつかぬ、そのいずれでも同時にあるようなアリスであって、まぎれ込まれた俳句のほうも、少しく異様な身震いを起こしているかに思われる。
冬至祭
冬麗ヴェーダ希臘を通過中
足のつめ肉へと伸びる冬の月
人妻の古書肆にしやがむ師走かな
ねえさんと呼んでみたきは初氷
レーニンも女もねむる三日かな
餅花や主婦には萌す革命歌
枝を下げ男上げたる冬桜
梅が枝が偶に切る十字かな
複製のアリスの濃度はるしぐれ
土浦の魚屋の角も彼岸かな
悪魔は名告り天使は告らね夕櫻
踊場のアリス十體はるのひる
アリスの合圖
小便器に睾丸落し栗の花
アリスにも産道はある蛆もわく
吾に買はれ香水鬱となりにける
夕燒けや一高楼に一看守
草いきれ「いくつ?」「十一」「首くくれ」
秋深し
ゼノンの秋ジェットコースターの影
色鳥の少年となり僧となる
秋の暮すくなくも吾は四人ゐて
異言
二度渡る記憶の川の冬銀河
鍵束が家うしなへる四月かな
唐揚げの蝉口中に壞れける
「鍵束」の句は、被災者ではない立場から震災の陰りを句に帯びさせた作として、出色の空漠感と寂寥を放散してやまない綺想句。
《草いきれ「いくつ?」「十一」「首くくれ」》の、真向唐竹割りの爽快さがそのまま迷宮的理不尽さをなすような風趣も、子供の世界と大人のそれとの間に走る断裂の苛酷さを窺わせつつ哄笑を誘う。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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Bryan Ferry - Don't Stop The Dance
コメント
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