2011年
ふらんす堂
『妣の国』は奥坂まやの第3句集。2003年から2010年夏までの360句を収める。跋文は高橋睦郎。
充実を感じさせる句集だが、その印象はモチーフ同士が犇きあい、はじきあうような力学的なテンションに多くを負っている。作者がときに被るらしい「男性的」との評もおそらくここに発している。
初夏やビルなみなみと雲映す
暁闇の石鹸硬しほととぎす
眼鏡の子眼鏡の父の暑さかな
一隅の白蛾だんだん大きくなる
炎天に歯車が犇いてゐる
花林糖兀(ごつ)と黒しや日の盛
野に灼かれ石塊とわれ等しかり
ことごとく髪に根のある旱かな
白く灼けみな人間の造りし道
きしみつつ日輪落つるカンナかな
大風の糸瓜は有卦に入りにけり
「硬し」「犇く」「ことごとく」「みな」といった語を用いた作が序盤からだけでもすぐに幾つも拾えるし、「だんだん大きくなる」白蛾や、「野に灼かれ」る「石塊とわれ」、きしむ日輪とカンナ、大風を受ける糸瓜もみな力学的な緊張関係のただなかにある。
入れ代はる蚰蜒の脚絶え間なく
さぼてんの踊りさうなる影かたち
人乗せて馬身緊りぬ草の花
金剛の雲聳えける花野かな
重心のおのおの違ふ瓢かな
写真機をごつごつ構へ柿の秋
万力のしづかに黒し秋日和
正義感みなぎる人参の赤さ
大榾のぶち込んでありドラム缶
わが自我のごとき鉄塔雪降り来る
屹立のほかなきビルや雪激し
大音響のごときビル群寒夕焼
トラックが小石撥ねあげ寒の入
ことごとく山脈(やまなみ)枯れて天に近し
大寒やかちんと嵌めて乾電池
抓まんとして凍蝶を殺めけり
枚挙に本当にいとまがないのでこの辺りでやめるが、「絶え間なく」入れ替わる蚰蜒の脚、踊りだしそうなポテンシャルを押しとどめられているさぼてんの影と、小さく柔軟な節足動物の脚の動きや実体のない影までもが、充実・緊張の相において捉えられていて、そのほかにも「みなぎる」「ぶち込む」「屹立」「金剛の」「重心」「万力」等々、硬く、重く、はりつめたさまを示す語彙が並び、そのありあまった力は、抓もうとした凍蝶を殺めるにまでいたる。
べつに粗暴なわけではない。テンションの引き出されるものも「ビル群」など本当に硬く巨大なものばかりではなく、「人参の赤さ」であったり、嵌めこまれた「乾電池」であったりと、身の回りの小さなものにまで及んでいて、全体として讃仰の押し付けじみたことになっていないのは、この諸力との感応が、語り手の心理を一方的に投影したものではいささかもなく、物たちの力に迫ってこられることとそれを句として表出することとが表裏一体となっており、語り手自身もそのテンションの攻防のただなかにあるからである。
強烈に力感を押し出す足し算・掛け算的な作りの句ばかりではなく、もっと沈潜した句もある。
かなかなや病みてつめたき母の髪
秋澄むや老人象をみつめをり
明るくてさみしくて小芋が並ぶ
雪の果桃缶暗き一隅に
などがそれだが、これらの句にもじつは老人と象の対峙、「並ぶ」小芋、つめたいながら生え揃っている母の髪などが描かれていて、力感が抜けたというよりは、テンションの発生現場を小さな局面に絞り込んだというほうが適切なようだ。
力学的な緊張関係に世界が特化されているとはいっても、たとえば岸本尚毅やあるいは高野素十の句が非情・無情なまなざしにより、人間にとっての要不要から離れた独立のものとしての世界のリアリティを獲得しているのとは奥坂まやの句は少々手触りが違う。その力感は情と直結している。あくまで己の身の丈が原器となっており、そこにモチベーションも発しているのだ。
己の身の丈と情のレベルにおいて語り手自身が諸力の関係に巻き込まれているという受動性、これがいかにも「男性」的な緊張した句のなかに「女性」性の印象をすべり込ませているのだろう。
こうした世界分節の方法が、形のないもの、空や虚空、他界を扱ったときどうなるか。
若楓おほぞら死者にひらきけり
天婦羅の鯊快晴の味したり
まつすぐにこの世に垂れてからすうり
月光に時間もつとも凍つるなり
裸木として青天に拮抗す
坂道の上はかげろふみんな居る
滝の前だんだんわれの居なくなる
桃の在るのは人生のちよつと外
冬空を鵜の群妣の国へゆくか
空や他界もほとんど実体化してしまうのだ。「妣の国」や「この世」「人生(のちよつと外)」と名づけられ、区切られ、力学的関係のなかに引き込まれることによって。
《滝の前だんだんわれの居なくなる》は、季語(自然といっても神や季霊といってもこの場合同じことだ)と語り手との間の、力の変移だけを詠んでいる。
こうした、かたちなきもの、他界をも実体化してしまうという特質は、方法上の一つの限界には違いないのだが、奥坂まやの句の充実と力感は、すべてこの限界をジャンピングボードとすることで成り立っている。己の方法に忠実であり、少なくとも嘘のない句集と言える。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
落手後、間があいてしまったので既にあちこちで話題になっている句集でもあり、spica(神野紗希・江渡華子・野口る理)とSST(榮猿丸×関悦史×鴇田智哉)の座談会でも取り上げさせていただいています。
2011年8・9月 第3回 滝の前だんだんわれの居なくなる 奥坂まや(野口る理推薦)
2011年8・9月 第4回 坂道の上はかげろふみんな居る 奥坂まや(神野紗希推薦句)
コメントを投稿
コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。
アカウント情報
(名前は必須です。メールアドレスは公開されません。)
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。