昨秋行なわれた「詩歌梁山泊」第1回シンポジウムのときに、聴くだけ聴きにいって(「俳壇」誌に簡単なレポートも書いたが)、金がないのでパーティには参加せず、かと行ってそのままでは立ち去り難いので、会場外の廊下のソファーに田島健一さんと座り込んで駄弁っていたら哀れに思った田中亜美さんが会場からビールとコップを調達してきてくれたりもしたのだが、そのあとこちらは別に金欠というわけではない初対面の同年生まれの詩人・田中庸介さんが来て話し込むことになった。
「妃」はその田中庸介さんが編集発行人を務める詩誌で、B5版と大きめの体裁。詩というのはなぜか雑誌で読むと頭に入りにくいことが多いのだが、余白を大きく取ってかなり読みやすいバランスに仕上がっている。
第15号は最近御母堂を亡くされた田中さんの自由詩「からし壺」が納骨旅行を題材にして、手応えがある。
《放射能から逃げるように東京を離れ山梨。温泉につかって部屋に戻る。
かばんをあけてみるとからし壺のふたが開き、母がかばんの底に
こぼれだしていた。
からし壺のふたがねじ式でないことを父はすっかり忘れていたのだ。(引用者註・この行のみ全文字に傍点)
津波の写真が載っている山梨日日新聞のページをあけて。
かばんの中身を新聞の上にあける。
白い粉がさらさらこぼれだす。》
この骨粉をかばんの中から、こぼれ落ちた畳の目から、指でなぞって丹念に拾い集める。
《指に刺さるというか。
母が指に刺さります。》
同郷の「楢山節考」「笛吹川」の作家、深沢七郎の名も現われる。
この甲斐の土地柄(縄文のつぎにいきなりご一新が来たとも言われる)の、乾ききった即物性と奇怪な合理性を体現しつつ、生の無気味さを抉る文の書き手の名を介して……
《しかし車窓に流れる里山のすべては
もうまもなく芽を吹きはじめて。
やわらかい 甲府盆地の春を
徐々に準備しなさるのが見えました。》
「骨粉」というモノと「春」とが、その乖離自体によってつながれているような悲しみの表現となった。
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