「むしめがね」(四ッ谷龍編集発行)の第19号が、じつに6年ぶりに出た。
四ッ谷龍の6年分の近作計556句を一挙掲載、これは当人の言によると最新句集『大いなる項目』のノーカット版といったものらしい。
外部寄稿はティエリー・カザルス(仏作家)による「ぶらんこの上の虹――冬野虹を讃えて」、亜樹直「句集『大いなる項目』に寄せて」、関悦史(私だ)「己からずれ出る激しい振動としての祈り」(句集『大いなる項目』評)の3本。
亜樹直は『金田一少年の事件簿』等で知られる漫画原作者・小説家、四ッ谷龍の中学時代の同級生にしてワイン愛好家仲間であるらしい。
ティエリー・カザルスは四ッ谷龍・冬野虹夫妻と昵懇であったらしく、今回のエッセイは冬野虹の俳句作品を論じ、讃えつつ、その作品たちが発する「白」さと純度の高さに自らも同化していくような、その気韻に心洗われる詩論。
これが今回、偶然というべきか必然というべきか、拙稿と奇妙な一致を示していた。
ティエリー・カザルスは冬野虹の句の、普通ならばただの取り合わせとして通りすぎてしまうようなところを、その中間が発する振動としてとらえているのだ。
《今号に掲載した関さんの文章では、「存在たちの緊張と振動」がどのようにして俳句に力を与えるかを論じてくださっている。
これをティエリーの文章と読み比べていただきたいのだが、ティエリーは「詩の中心で静寂がふるえ続けるようにしておくこと。虹はけっして静止した、教訓的なイメージを作らなかった」「俳句の技法は、ひたすら『鼓動』に一致し、同期するところにある」と書いている。静寂の空間に振動が生まれ、ふるえが広がって存在たちに詩の力を付与していく。この世界観は関悦史の文章のテーマと、きれいに一致している。真の詩的想像力をもつ人が俳句について考えるとき、それぞれが得る結論は、国籍にも言語にも左右されない同じ真実であるということを確認できた次第だ。》(四ッ谷龍によるあとがき「ルーペ帳」より)
私自身が一方の当事者なので自分で引くのもどうかとは思うが、こういうことは初めてで少々驚いた次第。
以下は今号に掲載されている句から。
寝汗(平成23年3月末以降)
割れた路面スコップで剥ぎ芝の上へ 四ッ谷龍
鶺鴒がくぐりて厚き門扉かな
青芝に茸一本突っ立ちぬ
めまいの中銀のとんぼが飛び来たる
こだま(平成20年10月から震災まで)
浜木綿に佇めば吾(あ)も光の輪
秋草は如雨露の水を厭うごと
土白し流るる如く貂走る
行く秋の卵の内部(なか)は老いぬべし
春来たり恋人たちはみな細目
涼しさのわたしは庭となりにけり
オルゴールの音を重しと思う百合
灰色の仔猫の死体駐車場
秋冷の真珠いかだに近く航(ゆ)く
赤い道路轢かれた蟹がめりこんで
白い砂しろい花城跡は無人
ガラス器の花の模様に参加しぬ
『大いなる項目』の時代より(平成17年3月から平成20年10月まで)
人間は神の影なり百千鳥
サファイアは胸元にあり穴惑
桔梗見てその夜は妻の夢を見て
死者は火事の夢を見ている葉には露
「むしめがね」のホームページは冬野虹の没後更新されていないが、Eメールの宛先は変わっていないのでこちらから注文はできるはずだ。第19号の定価は1,000円(送料共)。
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