2011年
ふらんす堂
『讀本』は、「青」(波多野爽波主宰)「ゆう」(田中裕明主宰)を経て「静かな場所」同人となり、去年「秋草」を創刊主宰した山口昭男の、『書信』(2001年)に次ぐ第2句集。
影・煙・水・揺らぎ・匂いといったモチーフへの偏愛が目立つが、それら不定形のものたちが瑞々しい大きな空間を切り開いて見せるというよりは、その明るみをまとわせつつ眼前の景物に意識が集約される句が多いようだ。《日溜のぽつかりとある野分かな》《明るくて霰の粒の大きくて》《日のさして海鼠の水のふるへをり》等々。
描かれた物に不定形のものたちが関わると、《冬瓜の中が烟つてゐるらしく》《帚木のぬれてゐる枝かわく枝》《ひとところ水音からみ合うて夏》のような小規模の混沌が生じ、視覚的な描写を積み重ねるのとは別の仕方で、その小規模な混沌が、事物に固い手応えを生む。それらはときに《花札の裏は真黒田螺和》の「裏は真黒」のような、相応のコクを出すことに成功しているとはいえ、俳人のよく使う手擦れした言い方にも接近する。
山越えて来しくれなゐの桜鯛
じやがいもの咲いて讀本文字大き
しほからき風の中なる砧かな
青写真水の光をのせており
葛の花ときに赤子の匂ひする
後朝の雨に大きなかたつむり
霜柱重たき煙のせており
菫ほど小さき墓をつくりし子
裕明の忌や切株に坐りゐる
虚子の忌の衣の厚きカレーパン
木の肌の腥くあり昼寝覚
ふりかへる秋風のまた苦きとき
月光の走りだしたる桜かな
義士祭柱に脂のもりあがり
夕立の人それぞれに鞄持ち
稲刈に無用の女来てゐたり
甕の中からびてをりぬ狩の宿
「赤子」、「後朝の雨」、「小さき墓をつくりし子」、《ふりかへる秋風のまた苦きとき》の苦い秋風、義士祭にもりあがる脂、夕立の中で鞄を持つ人たち、「無用の女」等、師の爽波や裕明に比べると人の営為に関心が深く、情味が濃い。
その情味や、固い手応えを持つ小規模な混沌への、爽波や裕明がそれぞれの仕方で見せたような他界からの照らしの受け入れを、いかに己の仕方でもって組織していくか。その辺りに今後の探求がかけられていくように思われる。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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