2011年
ふらんす堂
被災した後、宅配便などはわりと早くに復旧したもので、周り中瓦礫だらけで、家の中も足の踏み場だけかろうじてあけた状態の中でも寄贈本や雑誌は届いた。普段でも御礼が出せたり出せなかったりで不義理がかさんでしまっているのだが、それに拍車がかかった。何がどこに行ったかさっぱりわからない。屋根が落ちてしまって、雨漏りによる汚損を防ぐために本の大部分をビニール袋に詰め込んでしまったため、なおさらである(この退避作業を四ッ谷龍さんが手伝いに来てくださった)。
この期間に頂いたものも句集や歌集などは届く端から拝読しているのだが、何かブログに書こうと思っていたものも袋詰めしてしまい、ほとんど途方に暮れている(ことに初めて著書を送ってくださった栃本泰雄氏の『歌集 殉教図』は、その奥付にメールアドレスや何かが載っていたので、見つからないことには連絡の取りようもなくなってしまった。まことに申し訳ありません)。
武藤紀子さんの句集もそうした中で被災後最初期に届いた句集で、激しい余震と原発事故報道の続く中、京都や吉野のきれいな句を読んでいると、すでに滅びさった、もうこの世に存在しない国の、集合記憶の中にだけあるアルバムをホログラムで見せられているような、なんとも奇妙な感覚に襲われた。
以下『円座』抄から。
黍の穂や沖ノ鳥島風力五
祇園会の人中(ひとなか)にゐて人恋し
海の石据ゑて秋風美術館
大男通草の山に入りゆけり
たつた今蛤置きしところ濡れ
山水画蝶の気配のありにけり
山かけて赤松つづく円座かな
緑蔭ににはとりの首浮びけり
以下『朱夏』抄から。
格子から手が出て招く花の昼
長月や火を冷やかと詠みし人
大石を這ひ廻りたる芝火かな
水に映る学生服と芝火かな
山腹に家一つ見え梅雨深し
母の齢まで生きたしや花の山
この句は平成十三年、作者が子宮癌の手術と抗癌剤治療を受けた折の前書きつきの一連から。
以下『百千鳥』抄から。
法然の大きな寺や田螺和
籐椅子と柳田國男全集と
神々の系図のどこか蓮咲けり
夏料理箱階段をのぼり来る
胎蔵界へ扇の風を送りけり
笑ふ山裾桃色のラブホテル
子宮癌手術より五年
完璧な椿生きてゐてよかつた
「籐椅子」の句は、この作者は折口信夫でも南方熊楠でもなく、柳田國男なのだろうなと思う。
宇佐美魚目に師事、飴山實の句会に参加した後、長谷川櫂に兄事、今年「円座」創刊、主宰という経歴からも想像がつくとおり、余白をたっぷりと取った瑞々しいスケール感と、女性作家に対しては褒め言葉にならないかもしれないのだが、恰幅のよい実在感とが矛盾なく統合され、両立した世界。
真正面から眺めたような句の構えは崩れないが、《大石を這ひ廻りたる芝火かな》など地に足のついた、かすかな奇怪さを帯びた諧謔といった要素もある。《胎蔵界へ扇の風を送りけり》の、「胎蔵界」に没入もしないが己と切り離して観察するわけでもなく、風を送るという動作と皮膚感覚でもって「胎蔵界」の深み・不可視との己との間に関わりを組織するというのが、この作者の基本的なスタンスなのだと思われる。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
最近のコメント