私家版
2011年
『水の星』は復本一郎を代表とする実験的俳句集団「鬼」の若手有志八名による合同句集。それぞれが百句(一部例外あり)を提出し、個別に作品評の短文もしくは当人によるエッセイがつく。
東日本大震災の震災詠合作「祈り」と復本一郎の「後序」を付す。
括弧内は作品評の書き手。
髙勢祥子「触れる」から (今井聖)
エスプレッソマシン鎮座す麦の秋
鯉幟なまなましきは人の脚
河童忌やセーヌに足を投げ出して
とり鳴くをふらんす語とも水涼し
吐息にてとんでしまへり天道虫
弟の使はぬ茶碗夕野分
狼の代はりに水を飲みしかな
喪われたもの、不在のものと身体性との対比に佳句が多い気がする。
田口茉於「美しき箱」から (三宅やよい)
自販機に顔照らさるる春の闇
囀りや一人は鳥に詳しくて
蛇穴を出づメディチ家の黒箪笥
スプーンに映りて消ゆる春の猫
橋の下より花筏現るる
初夏のたそかれ同じドアいくつ
印象明快な事物があらわす寂しさ。
井上明惟子「ヌーン・シティ」から (井上明惟子)
妻になる日遠くの砂漠髪洗う
ポークソテー一枚蚊遣りの電気音
涼しきはコインと発泡スチロール
警官の尻ふくよかなる立春
かつら売るひとの小鳥を呼ぶ手先
甲走ったようなところが、素材の切り取りの奇妙さに転じられ抑えられたとき句にバネが利く。
原 千代「慟哭」から (いがらしみきお)
死の匂い狂気の匂い桃腐る
「阿修羅像」の前書きのある三句から
散る桜魂絡めとる腕六つ
全篇の頭に「宗左近先生に捧ぐ」の献辞あり。自由詩二篇を含む。
言いたいことを言い尽くして、それが象徴に転じおおせたときに句が成り立つ作風だろうか。
磯部朋子「方位磁石」から (三浦郁)
うららかに脚立のうへの読書かな
節分や方位磁石の落し物
はつなつや蛍光色の世界地図
初日記の背表紙かじるインコかな
子を詠んだ、内容も措辞も日常的な句が多いこともあり、良くも悪くも絵日記風の明快さ。
角南範子「永久歯」から (柳生正名)
春ショールぬらぬら揺れて進化論
ヒドラゐる青き桜の散る夕べ
友の子に指吸はれゐる遅日かな
藤の香に子亀溺れてゐたるかな
またSかMかの話虎が雨
初恋ハ底辺カケル雲の峰
漱石の脳ある校舎蝉時雨
泣いた後のシュークリームの冷たさよ
平凡な句と、警抜ゆえに陳腐化しやすい素材を季語の力でうまく情感に落し込み定着させ得た句と。
菊池麻美「白い庭」 (菊池麻美)
夏行きてほのかに冥き化粧室
秋時雨表彰されてひとりかな
文化の日タルタルソース拭いけり
ストーブをたいてヌードのモデル待つ
伊勢海老を茹で上げ義父とふたりきり
若い女性の私語りを戯曲的な一場面に託して季語を含ませた形の句が多く、中で上記の数句に語られた以上の濁りがわずかに感じられた。
橋本 直「エイチ」 (深見けん二)
神奈川沖浪裏透かし蠅叩
和船ぎぃと進み入道雲多淫
ビーナスを背中より見る秋の朝
月天心古代金貨に表裏
階段に人のかたちの秋がゐる
杳霧あり工場はみな立つてゐる
ウインドウにドーナツばかり神の旅
物に即して渋めの諧謔がにじみ出た句に手応えのあるものが多いようだ。
なお「神奈川沖浪裏」は葛飾北斎「富嶽三十六景」の一枚。
本書の問い合わせは橋本直さんまで(HPにメールアドレスあり)。
※本書は橋本直さんより寄贈を受けました。記して感謝します。
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関悦史さま
はじめまして。
「鬼」の会の菊池麻美と申します。
この度は、早々に私たちの作品集『水の星』を
取り上げてくださりありがとうございました。
また、こんなに丁寧に読んでくださりお礼申し上げます。
それぞれの作風を短い評で的確に捉えていただいたように思いました。
私の作品への評にありました関さんのおっしゃる「濁り」が、
私が思う「翳り」のようなものだったとしたら、
作品を介してそういうものを共有できるのなら、
うれしいなと思いました。
ありがとうございました。
投稿情報: Asami Kikuchi | 2011年6 月 5日 (日) 17:15
菊池麻美さま
はじめまして。
かなり言葉足らずだったようにも思いますが、ここでの「濁り」はもちろんプラスの意味で、「豊かさ」というのに近い意味で使っています。菊池さんの作品に限らず、全体として新鮮味に富んだ合同句集になったと思います。
投稿情報: 関悦史 | 2011年6 月 6日 (月) 19:45
関さま
補足のご返信ありがとうございました。
私も「翳り」をネガティブな意味でつかったのではないですが、
「濁り」が「豊かさ」とは!驚きました。
でももしかしたら同じものを見ているのかもしれず…。
表現の違いは、主観と客観の違いかもしれません(し、違うかもしれません)。
いつか何か俳句のイベントでお会いすることがありましたら、
その際は、よろしくお願い致します。
投稿情報: Asami Kikuchi | 2011年6 月 7日 (火) 21:40