集英社
2010年
小説家による俳句、いわゆる文人俳句では、小説の作風と俳句の作風が全然別で、俳句の方だけ突然私小説的になってしまう作家も少なくないのだが、川上弘美の場合は事情が違うようで、句集『機嫌のいい犬』に収められた作品群も、その小説世界と地続きに感じられる。
単に俳句を余技と捉えていないということではなく、それよりもむしろものを書くときの基本スタンス、言葉との向き合い方にブレがないということなのではないかと思われる。
夜店にて彗星の尾を見つけたり
はつきりしない人ね茄子投げるわよ
名づけても走り去りたるむじなかな
その人の動物に似て春の宵
会ふときは柔らかき服鳥曇
赤蟻に好かれしぶしぶ這はせたる
初夢に小さき人を踏んでしまふ
めまとひのついて来ざるをさびしがる
くちづけの前どんぐりを拾ひましよ
恋愛の如く吾が子と抱きあふ
目覚むれば人の家なりチューリップ
てながざるほしくてをどるちるさくら
うねりやまず鰻に錐を突きたれど
少年の手淫にねむる小雪かな
室咲や春画のをんなうれしさう
草分けておとうと探す春の暮
権妻を三人連れや花の昼
人なりにズボン脱がれし良夜かな
松過の座敷に座敷犬(ざしきいぬ)五匹
きみみかんむいてくれしよすぢまでも
青ぬたや婚家の味は廃れさす
徹頭徹尾機嫌のいい犬さくらさう
一見あわあわとした幻想に遊んでいるようで、その底に、支配被支配に引きずり込まれた異性や動物たちとの酷薄な性愛関係の毒気が微量に潜んでいるようだ。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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