邑書林
2011年
『誤植』は島田牙城の第3句集。
にくみをり雪折といふことば今
裕明を探してゐたる雪野とは
はじめに同門の田中裕明追悼の9句がある。以上はその中から2句。
夕方をさみしくなりぬ男の手
夏の森上下はからうじて判る
秋確かなる八月の電話帳
天才に届かぬ夏のオリオン座
滿月の雪の櫻となりにけり
梅雨茸の笠の裂け目を雨通る
腦の皺ほどに荒れゐて出水川
聞き捨てよ尼寺に殘れる秋の聲
巫女にして媛なる壽子(としこ)小春を言ふ
我が名壽律(としのり)雪中をちぢこまる
余の名宗恒(むねつね)窗外の雪を怖づ
わが名を詠むのは女性俳人にはしばしば見かけるところだが、男性では滅多に見ないと思っていたところ「我が名」の句が出てきた。しかし夫人の名の次に「我が名」「余の名」と並んでいるところを見ると、これはどうも長男次男の名ということらしい。
遊びすぎたぞ奥齒に熊野の夏挟まり
妻が好き黒百合五つ六つ咲かせ
髭剃の刃こぼれいかに爽波の忌
稲妻が太し兜太の町通過
はじめから獨り盃橅に月
獨活噛めり我が死ぬはずの今世紀
結び昆布の結び目へ父歸る
地球儀のお尻に螺子や紋黄蝶
蝶の口蟲の骸を吸ひつづけ
少年の股間隆き日晩夏光
佛壇に通知表ある今年かな
ちりがみを重ねしやうな月あかり
葛餅を粉の中にて切りすすむ
巨大雪兎として八ヶ嶽に耳はあり
石仏のやうに坐りぬ春の丘
「腦の皺ほどに荒れゐて」「ちりがみを重ねしやうな」「粉の中にて切りすすむ」「石仏のやうに坐りぬ」等々、写生時に用いられるレトリックにこの作者特有の、撥水のために和傘に塗られる柿渋か何かのような濃厚な渋みと粘りがあり、その聞かん気なバネが諧謔味の土台ともなっている。
巻末に「以上三百三十三句を誤植とする」との文言があり、今まで読んできた句は全て誤植であったのかと錯覚させられるところなど、まさにそうした資質による諧謔。
島田牙城……1957年2月9日京都生まれ。波多野爽波に師事。現在、俳句同人誌「里」世話人代表。句集に『火を高く』『袖珍抄』。後者で第1回雪梁舎俳句大賞=現・宗左近俳句大賞。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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