2008年
マルコボ.コム
杉山久子さんについては、昨年末の超新撰21竟宴のときに壇上にお呼びしようと思いつつ欠席とのことで果たせなかったのだが、そのとき参考にするために句集『猫の句も借りたい』を探していたら岡田一美さん(去年の第3回芝不器男俳句新人賞の城戸朱理奨励賞受賞者)が貸してくれた。
そういうわけで未だに私の手元にあるのだが、いい加減お返ししようと思うので、時期外れながらここから句を抄出する。
『超新撰21』の巻末座談会を見ると杉山氏、既に句集が3冊あってそれぞれ作風、編集が違うという多力な作家らしい。結社で育ったオーソドックスな作風の人という漠然とした印象しか私は持っていなかったので、あの巻末座談会でかなり杉山久子像が変わった。
その中でこの第2句集『猫の句も借りたい』は猫の句ばかりを集めて1冊にし、針金製の猫型オブジェの写真と合わせた特殊な作りのものなので、仮にこれしか見ていなかった場合、作者像がずいぶん偏ったものになりそうでもある。俳句を始める前の私が書店でこの本を見たら、手に取りもしないで通り過ぎてしまったのではないか。オブジェ制作・撮影はキム・チャンヒ。
あとがきによると句集刊行の前年、19年間飼っていた愛猫が大往生を遂げたという。俳句を始めたのと猫を飼い始めたのがほぼ同時期なことから自然と猫の句が溜まっていったようだ。
雛の間に入りゆく猫の尾のながき
水温む保健室より猫の声
恋猫に日あたる聖書研究会
空蝉を噛む猫の眼のかがやきて
秋風にふくらみきつて白き猫
永き日や犬の視線の先に猫
新入りの猫のおそるる竹婦人
猫去りし膝月光に照らさるる
恋の猫餅のごとくによこたはり
収録108句全部猫の句であって、一気に読むと「猫」が何だかわからなくなってくる。
猫の場合、一見情をまじえずに姿や動作を写生しているように見える句でも、その写生の欲望の裏に猛然たる猫可愛さの念が透けることが多い。中で《空蝉を噛む猫の眼のかがやきて》は人とは別の生物としてのネコの生気が捉えられて鮮烈だが、では他の句はどうかというと、あえて非情に突き放して書くでもなく、自分のふくよかさの中に含み込んで、そのスケールによって溺愛のべたつきを適度に乾かしているといった風情。
ところで《恋猫にさづけやる名の松竹梅》という句から、思わず『犬神家の一族』を思い出してしまったのは私だけか。遺産相続をめぐって争う三姉妹の名前が松子、竹子、梅子だった。目出度いといえば目出度い、いい加減といえばいい加減な命名で、こういうのは横溝正史の世界に出てくるとブラックユーモアじみた効果が上がる。
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「犬神家の一族」は大好きな映画です。松子、竹子、梅子より神家の家宝『斧(よき)・琴(こと)・菊(きく)』のほうが強烈なゴロ合わせでした。
作者の横溝正史はこの他「八つ墓村」などの岡山県を舞台にした作品があります。
岡山といえば、「阿部青鞋」。岡山県英田郡美作町林野の牧師だったということですが、永く美作を愛した方で地元の方からは「英語の阿部先生」として認識があるようです。林野の商店街には今も「中村屋」というパン屋があり、そこの3人のお嬢さんのお名前は「まどか」「のぞみ」「かなえ」だそうです。(敬称略)
それって欽ちゃんの「わらべ」(のぞみ、かなえ、たまえ)みたいですね。
ああ、「望み叶えたまえ」だったんですね、なるほど。
投稿情報: ひとるたま | 2011年1 月24日 (月) 03:07
追記:肝心なことを書きませんでした。
阿部青鞋が「中村屋」の3人のお嬢さんの名前の名付親だそうです。
「まどか」「のぞみ」「かなえ」
投稿情報: ひとるたま | 2011年1 月24日 (月) 03:11
ひとるたま様
コメントありがとうございます。岡山は今年行く予定があるのですが横溝的な雰囲気の残る場所など見ることができるかどうか。
阿部青鞋の命名のエピソードは全然知らなかったので興味深く拝見しました。全部ひらがななのですね。
投稿情報: 関悦史 | 2011年1 月24日 (月) 23:27
関さま
名前表記は未確認ですが「ひらがな」の可能性は高そうですね。阿部青鞋自身も美作では「阿部るい」(「るい」の表記不明)と名乗っていたようです。 るいるい。
投稿情報: ひとるたま | 2011年1 月25日 (火) 01:23