本阿弥書店
2007年
「鷹」に発表された句を結社外の人間が鑑賞する「鷹俳句逍遥」欄を半年間受け持った縁で、中岡草人という未知の方から句集『闇のさやけき』を頂いた。
帯の紹介文にあるとおり、視覚に障害を持つ作者である。
泥くさき白杖信ず春の雷
句集全体を通して「うひうひし」「瑞々し」「ふてぶてし」「共感す」「小気味よく」など感動のポイントを念押しする形容が多く、言い過ぎていたり、季語が他の部分と理でついてしまっている句も少なくない。
この句での「くさき」と「信ず」の併用もくどいと思ってしまえばくどいが、「春の雷」が情念を受け止めつつも自然界の広がりを出し、その広がりが照らし返す形で、真中に立つ白杖と作中主体の意志の強さを際立たせている。
峰雲や木曾の山蛭からびつつ
地名を詠み込んだ句も土地褒めの思いが力みとなって却って浅くなるきらいがあり、ここでも「峰雲」「山蛭」の季重なりにさらに「からぶ」と言いたいことを言い尽くしているが、この句の場合は「木曾」の地名が山や高木を連想させ、「山蛭」から「峰雲」へと向けて意識を垂直性に開く役割を果たしている。
雪解靄ハーケン一個拾得す
日脚のぶ金太郎飴切る音か
青嵐の義眼を徹すかゆさかな
これらはそれぞれ「ハーケン一個」の重みや「金太郎飴切る音」「義眼を徹すかゆさ」がすんなり実感され、その実感が、「物が在る」ということ自体の不思議さの領域へと幽かに開けているようだ。季語の斡旋が単なる隠喩的説明に終わっていないためでもある。ことに三句目は視覚障害者なれでは体験し得ない事柄が描かれているにもかかわらず説得力があり、生々しい。《土用芽や罅はしりたる木彫馬》も物だけを描いて力強さを引きだそうとしているが、よく出来ている部分(中七)がそのまま俳句臭さとなって飽きが来るのが早く、これらより一歩劣る。
月さして石の微香や迢空忌
夜の湿りの中、月に照らされて起きる幽かな気配のゆらめきを捉えることで、ほとんど超能力的・超感覚的に古代を捉える異能を持ちながら、実人生においては多くの深い屈託を抱え込まなければならなかった釈迢空=折口信夫を前にして息を潜めているかのようなたたずまいを得た句。折口の小説『死者の書』の冒頭、水の滴りを聞きながらの蘇りのシーンを踏まえているとも思われる。
以下、どちらかというとこの句集の中心的なトーンを成すものではない、力の抜きどころや余裕、余白がどこかにある句が心に残った。
クロッカス箏の楽譜を点訳す
石棺の苔やはらかし春の月
夜桜や得体のしれぬこゑとゐる
刃物より冷たき美女の手なりけり
晩学に滾るものありどんど焼
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