先日句集『大風呂敷』を上梓した山田耕司氏から同人誌「円錐」も頂戴した(ありがとうございました)。現在の編集委員は糸大八、橋本七尾子・山田耕司の三氏で、今泉康弘氏の渡邉白泉論、澤好摩・山田耕司両氏の対談による「検証・昭和俳句史」が連載中の模様。今号の小特集は「糸大八の近作(2)」。
道草の草矢打ちあふ公方かな 栗林浩
鯨飼へば水族館はかなしからむ
「そこをひらいてくれないか…ひらいてぼくにみせてくれ」――スタージョン「人間以上」
大鴉キーファーの書を開くたび 今泉康弘
引用を騙し絵のように組み合わせて効果を上げた手の込んだ句で、ミュータント・テーマのSFの古典シオドア・スタージョンの『人間以上』を前書きに置き、句の形は三橋敏雄の名句《かもめ来よ天金の書をひらくたび》を踏まえて、翼と開いたページの形の相似はそのままに、明るい風光を曳く「かもめ」を「Nevermore(二度とない)」と全否定のみを繰り返すポーの大鴉に、「天金の書」を現代ドイツ史や神話を元に鬱然たる大作を作り続ける現代美術の巨匠アンゼルム・キーファーの本に置き換えた。キーファーは本の形の作品を多数作っているが、それらは巨大な黒い鉛のオブジェであって容易に開けるものではなく、開いたところで何も書かれてはいない。つまり句を見る限り三橋敏雄の明がそっくり暗に転じた格好だが、前書きについたスタージョン『人間以上』は私は未見ながら、社会から無能力者として蔑まれている者たちが人格的に渾然一体となった時、世界を左右する能力を発揮してしまうという作品らしく、そちらも希望とも絶望とも割り切れない形で終わっている模様。暗いプレテクストばかりの重ね合わせの中に、超能力のように或る場所が開ける可能性を指示しようとしている。
妻が逝って、私は空ばかり撮っていた――荒木経惟の前書きのある4句から
たらちねの乳に似た雲を追えば雪
穴を出て蛇に脇腹よみがへる 山田耕司
骨となるまでを二月のいなり寿司
軍艦に欠けたるものに沈丁花
係長Bの口より鬼火かな 味元昭次
くらげより白く大きく昼の月 橋本七尾子
一輌の高原列車片時雨 横山康夫
凩に電飾の木々森繁死す 澤好摩
骨と石との白き径あり冬天へ
道草の草矢打ちあふ公方かな 栗林浩
鯨飼へば水族館はかなしからむ
「そこをひらいてくれないか…ひらいてぼくにみせてくれ」――スタージョン「人間以上」
大鴉キーファーの書を開くたび 今泉康弘
引用を騙し絵のように組み合わせて効果を上げた手の込んだ句で、ミュータント・テーマのSFの古典シオドア・スタージョンの『人間以上』を前書きに置き、句の形は三橋敏雄の名句《かもめ来よ天金の書をひらくたび》を踏まえて、翼と開いたページの形の相似はそのままに、明るい風光を曳く「かもめ」を「Nevermore(二度とない)」と全否定のみを繰り返すポーの大鴉に、「天金の書」を現代ドイツ史や神話を元に鬱然たる大作を作り続ける現代美術の巨匠アンゼルム・キーファーの本に置き換えた。キーファーは本の形の作品を多数作っているが、それらは巨大な黒い鉛のオブジェであって容易に開けるものではなく、開いたところで何も書かれてはいない。つまり句を見る限り三橋敏雄の明がそっくり暗に転じた格好だが、前書きについたスタージョン『人間以上』は私は未見ながら、社会から無能力者として蔑まれている者たちが人格的に渾然一体となった時、世界を左右する能力を発揮してしまうという作品らしく、そちらも希望とも絶望とも割り切れない形で終わっている模様。暗いプレテクストばかりの重ね合わせの中に、超能力のように或る場所が開ける可能性を指示しようとしている。
妻が逝って、私は空ばかり撮っていた――荒木経惟の前書きのある4句から
たらちねの乳に似た雲を追えば雪
穴を出て蛇に脇腹よみがへる 山田耕司
骨となるまでを二月のいなり寿司
軍艦に欠けたるものに沈丁花
係長Bの口より鬼火かな 味元昭次
くらげより白く大きく昼の月 橋本七尾子
一輌の高原列車片時雨 横山康夫
凩に電飾の木々森繁死す 澤好摩
骨と石との白き径あり冬天へ
戦艦のよろめく春の港かな 垂水猫女
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