思潮社
2004年
同じ俳人の三連続になるが、柿本多映の『粛祭』が手に入った。前出の『花石』『白體』に続く第5句集となり、この間に作者は癌を患い、何人もの先達を失っている。
「揚羽」や身体の部位をはじめとする限られたモチーフへの偏愛を手がかりに、遠い隔絶したものとしてではなく身ほとりに地続きのものとして、しかも驚異性を失わないままに他界を組織立てていく作風は変わらないが、前句集に比べて全体に闊達さが増した印象を受ける。
黙読へ白朝顔の揺れどほし
居ながらに骨は減りつつ新牛蒡
青鷺は右脳にたまる鳥である
身の端に首はありけり冬紅葉
真葛原ことりと人を通しけり
ゆくゆくは凭れてみたし霜柱
蟻の巣に水入れてゆく他人かな
花野から大きな耳の垂れてくる
前へ前へと踊りつづけて山や川
十二月八日を過ぎて河豚を食ふ
人が人を拝んでゐたる秋の暮
老人を洗う銀河を見渡して
コンパスを回せば国旗また国旗
これはやや珍しい素材。無意識の運動が思いがけずも象徴への通路を開いてしまう機微に触れている。戦死者への思いも潜んでいるか。
白襖倒れてみれば埃かな
精神と物質との間に生じる乾いた諧謔の劇。
乱反射ゾーンへ入る黒揚羽
嚏して瓜実顔の通りけり
馬を見よ炎暑の馬の影を見よ
以下の4句は「入院八句」の連作の中から。
手術始まる蒼馬に月を奉り
鳥兜その紫をわたくしす
噴門をがつんごつんと苺が落ちる
癌病棟月下に橋があるにはある
「蒼馬に月」、手術前は確かにそんな印象があったと思わせられる。「月に蒼馬」を奉るのではないことに注意。この蒼馬は天体より上位にある。
「あるにはある」の肉体苦のなかの正気ぶりに、やりきれなさと逞しさが同時に見える。
岸までは聞える蝶の翅づかひ
雪月花ときに魚焼く煙かな
月の出の一本道は立ちあがる
いきものが影生む春の汀かな
火の因は灰の中なる黒揚羽
風信子机上に水の滲み出て
「風信子」はヒヤシンスのこと。
宗祇より漂着したるかまどうま
兜子閒石耕衣鬼房敏雄留守
順番に赤尾兜子(1925 - 1981年)、橋閒石(1903 - 1992年)、永田耕衣(1900 - 1997年)、佐藤鬼房(1919 - 2002年)、三橋敏雄(1920 - 2001年)を指す。いずれも現代俳句に大きな足跡を残した。
雪降れり我が生誕のにぎはひに
ご無沙汰しております。
久しぶりに見にきたら、(忙しかったのです。真面目に目が回る(@_@;)ほど。)
なんだか快調に飛ばしておられますね!
表紙の好みは『白體』 が一番すきです。
で、句の方はやはり『粛祭』でしょうか。
真葛原ことりと人を通しけり
ゆくゆくは凭れてみたし霜柱
蟻の巣に水入れてゆく他人かな
いいなぁと思います。
前へ前へと踊りつづけて山や川
わかるわかる(>▽<)!!
ふと我に返って気付く死につながりかねない危うさ、迷い込んだ感じ。
新しい境地ととることも出来るし、不気味でもありますが、淡々としていますね。
すべてを受け入れているのでしょう。
十二月八日を過ぎて河豚を食ふ
ふぐの季節ですねo(^-^)o ..。*♡
馬を見よ炎暑の馬の影を見よ
うんっと。落馬しますよ~。ちゃんと前を見て!という感じですo(^-^)o!
でも力強い句。(あ、乗馬してると思うのは私だけかも)
月の出の一本道は立ちあがる
宗祇より漂着したるかまどうま
いいですね。
雪降れり我が生誕のにぎはひに
中学校の合格発表時、雪が舞っていたことは忘れられません。
(交通マヒしていましたくらいでしたが!)
センター入試の日も雪が降っていました。私にとっては吉兆です!
でも最近はスリップしかけました(笑)。
(まだ死んでいないので吉兆かもしれませんね?)
投稿情報: 野村麻実 | 2008年12 月10日 (水) 02:37
>野村麻実さん
また遅い時間にコメントありがとうございます。
「前へ前へと踊りつづけて山や川」の
>ふと我に返って気付く死につながりかねない危うさ、迷い込んだ感じ。
>新しい境地ととることも出来るし、不気味でもありますが、淡々としていますね。
という鑑賞は句の深いところに目が届いている感じがしますね。
今日は妙に温かかったのですがしばらく降りそうな気配がしませんが、雪、適当な量降ってくれるといいですね。
ハンドルさばきは気をつけてくださいね、本当に。
投稿情報: 関悦史 | 2008年12 月10日 (水) 19:15