先日届いた「―俳句空間―豈」47号(2008年11月号)を見てちょっと驚いた。
今回の特集は「青年の主張」と「安井浩司の13冊の句集」の2本立て。
安井浩司は俳壇とほぼ無縁に制作を続けていて、その句群は秘教的ともいうべき語り難くも厳然とした量感をもって聳え立ち、多くの俳人が畏怖に近い思いを抱いてその営為を見守っている。
その安井浩司の特別作品・書下ろし50句「蛇結茨抄」が巻頭に並んでいるのだ。
雁行くや空の高さに海あれど
百人に一つを与えん冬牡丹
死鴉を吊るし春空からす除け
緑蔭深く御顔に鉋かけるべし
主はときに蜘蛛のごとく後ろより
蛇結茨かたまり眠るキリストら
みずすまし掬うは大地の眼(まなこ)より
生誕の尻残しおくパピルスに
老い母やすすきに踊る小町ぐせ
白山蛇(かがち)は生まれずにただ分離して
深草風遂に女賊へ乗るゆめや
山吹と活けるや鱒身を逆しまに
春陰や一本箸もて食らうわれ
-五月三十日-
実忌や夕空うつくし止血帯
草屋根の蛇仰ぎわれ生きんとす
50句末尾の「生きんとす」が目を引く。
他の凡庸な俳人の誰がこれを書いてもまったくかまわないのだが、安井浩司である。
個人の感慨や日常と別な地平に、単独者の視点から営々と「生死」の全体を(シュヴァルの理想宮のごとき)独自の創世神話に編成し続けてきた安井浩司の世界にも、ついに「人生」という個人の身命に区切りこまれた説話的持続と、何らかの折り合いをつける時がきたのだろうかと思うと少々戦慄を覚えざるを得ない。
「五月三十日」の前書きのついた「実忌」は、詩人吉岡実のことらしい(ウィキペディアでは31日没となっている)。
新人・安井浩司の50句競作応募作に目にして、いち早くその混濁・屈曲の得体の知れない奥行きを見て取ったのが、舞踏の創始者土方巽とも親しかったこの大詩人だった。
今月号の豈、拝見しました。
安井浩司さんの新作が50句も載っていたので驚きました。
全体的に暗い句が多い中で、
「雁行くや空の高さに海あれど」
と晴れ晴れしい美しい光景を最初の句に持ってこられたセンスは
素晴らしいと思います。
海岸近くの山に登ると、本当に目の高さに水平線があって、
「タンカーが空に浮いてるっ!」と思った事があるんです。
きっと晴れなんでしょうね。
「白鳥はかなしからずや」と対照的な世界をみた思いです。
「死鴉を吊るし春空からす除け」
はなんだか怖いけれど、印象的です。
「白山蛇(かがち)は生まれずにただ分離して」
なにかの伝説を踏まえた句なのでしょうか?
もしそうでなかったら、蛇が脱皮する瞬間をこのように表現するとは美しいですね。
にしても、
「主はときに蜘蛛のごとく後ろより」
主ってコワいんですね。。。
恩寵とかそういうのを意味しているようにはみえません。。。。
「実忌や夕空うつくし止血帯」
「草屋根の蛇仰ぎわれ生きんとす」
しみじみきます。
止血帯の緊張感と締付けられ感、漠然とした不安感が、
「空うつくし」で昇華されているように思えます。
ところで、同じ豈47号に載っていた、
恩田侑布子さんの句も、とても好きです。
一種の凄みがあって。女性ならではのものだと私は思います。
「たまの汗玉の涙に変えまじく」
他の句の「句」らしさにくらべてふいっと人柄が出ているようで、
肩肘を張って生きている私にはとても共感できる句です。
伊東宇宙卵さんの
「ストレスがだいぶたまったが、しかたない。」
なんだかとても共感です。しかたないしかたない。。。。
投稿情報: 野村麻実 | 2008年11 月16日 (日) 12:49
>野村麻実さま
この号はとにかく、安井浩司の新作が読めたのが良かったですね。
伊東さんの記事はいま上げましたが、恩田さんのも追ってちょっと紹介しましょうか。
それにしても、さっきニュースを見ていましたが、かからなくていいストレスをかける人には困りますね。
投稿情報: 関悦史 | 2008年11 月19日 (水) 21:23
まったくです。。。。やる気が損なわれます。。。本当に。
投稿情報: 野村麻実 | 2008年11 月20日 (木) 01:05