2011年
ふらんす堂
『蜂の巣マシンガン』は「鷹」同人・竹岡一郎(1963~)の第1句集。序文・小川軽舟。
この毛色の変わったタイトルは集中の《蜂の巣の俺人生はマシンガン》から来ている。
激しくも平板な隠喩の句で、蜂の巣にされても「人生は~」などと語っていられるあたりが劇画的だが、句集全体の雰囲気はこの表題から想像されるような破れかぶれなものとはやや異なるというべきか、あるいはスタンスにおいてはさほど離れていないというべきか。
少年は佇立少女は卒業す
黒人兵こほろぎ飼へる神戸かな
寒卵神父の夕餉澄みにけり
少年を娼婦諭せる焚火かな
白皙の給仕に桜憑きにけり
夜学生故郷印度の笛吹けり
イスラムの青年に貸す夜学の書
ストリッパー聖夜の仕事了へて独り
つまり、生けるものをあわれむまなざしに統べられているという点では一貫していて、それが己に向けられたのが「マシンガン」の句なのだろう。
「黒人兵」「神父」「娼婦」等々、人を属性に還元し、作者が演出するドラマの場面を形づくらせた句が多い。《鷹渡る希臘悲劇の長台詞》《立版古乱歩の猟奇組み広げ》といった、劇や場面そのものを詠んだ句もある。他者ではなく役者がいるドラマの世界として組織されている句が多い。
作者の思念、想念、情念が主となる作り方なので、その意味では眞鍋呉夫にも通じるが、そうした句の射程は、作者のスケールを正確に反映したものとなりやすい。死ですら何の謎もなく作者の手の内に収まりきることになるので、いかなる名場面を形作るかのみが見どころとなり、人知や分別を無化するような要素は句に入ってきにくくなるのだ。
今生は道頓堀に虫売りぬ
海底の軍艦灯る盂蘭盆会
生者われ死者の化したる蝗食ふ
黄泉が空摑まんとして曼珠沙華
芝居小屋に足を踏み入れるつもりで楽しむべき句集なのかもしれないが、個々の句としては、汲み取るべき情調や世界観が演出にあまり固め込まれすぎていないものに面白いものがあった。
絨毯を深々と刺すハイヒール
冬眠のものの夢凝る虚空かな
寒鯉の鱗剥ぐ音響きけり
房州の蛸這つてゐる鉄路かな
傘さして舟にありけり秋の暮
炎帝に告げよ「あたしは美しい」
分校にバッハ響ける氷柱かな
宇宙独楽冷たく唸る照葉かな
鞦韆にあり抱擁を遠く見て
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
追記……句集中の世相、風俗が戦後すぐの混乱期のようで、しかし竹岡氏がそこまで高齢のわけはなく、そうした句材の由来が今ひとつわからないでいたのだが、あとでご本人から伺ったところ、竹岡氏の生まれ育った地域をそのまま描いているということだった。
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