2011年
西田書店
先日、佐山哲郎さんが住職をされている寺に何人かでお邪魔する機会があって、飲み会の席で佐山さんがジブリの話などされていたのを、こちらは何のことやらよくわからないまま聴いていたのだが、いま公開中のジブリ映画『コクリコ坂から』のマンガ原作者が佐山さんであった。
句集が届いたちょっとあとに、竹熊健太郎氏が佐山さんのことを、天才ライターだったとか、超人伝説とかとツイートしているのを見て、その才能の片鱗を知った。
句集としてはこれの前に『じたん』『東京ぱれおろがす』(ともに西田書店)があり、『娑婆娑婆』は第3句集にあたらしい。
《二ン月の荷に根菜とコンサイス》《レプリカの巨鯨春風駘蕩区》《六日はやにつちもさつちもの喇叭》(サッチモがルイ・アームストロングの愛称)《朽ち果てしその蜩の寺を継ぐ》、《風船が廊下の奥に立つてゐた》(これは渡邊白泉句のパロディ)、《逝く春を交尾の人と惜しみける》(これは芭蕉の)、《なせば茄子なせるはなきにしもあらぶ》(ナセルは汎アラブ主義の雄、エジプト大統領)、《洗い髪ゆゑいきしちに火、と叫ぶ》(お七の名が詠み込まれている)と、語呂合わせ、ダジャレ、バレ句、パロディのオンパレードで、知的操作が過ぎるなどとも言われそうだが(私もときどき言われる)、作者にとってはこうした音韻上の連想と時代風俗とが最初から一跨りになった形で発想が出てくるので、これがいわば自然なのだろう。騒然として猥雑な60年代の文人俳句といった趣き。
部立ては春夏秋冬新年の順。
ウーと出てマンボと続く潮干狩
ものの芽に駄目と言はれるまで触る
鳥雲にきみらはお水仕事しに
春孕む袋はポテチ破り割る
青梅雨の砂糖巌のごとくあり
スカートで夫の昼寝をマタイ伝
「マタイ伝」は「跨いでん」の駄洒落だろうが、「マタイ伝」の出だしは「アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み」とイエスに至るまでの系譜が延々と続く。跨いでしまったこの妻、やがては大変な子を生むことになるのかもしれない。夫と無関係に。
劣化したブラジャーを干す薄暑かな
いざ冷やし中華思想をひもとかむ
かつてなぜ夏以外には冷やし中華が食べられないのかという疑問に端を発した、山下洋輔、筒井康隆等による「全冷中」というムーヴメントがあって、その狂瀾怒涛の悪ふざけの模様は山下洋輔『ピアノ弾きよじれ旅』『ピアノ弾き翔んだ』などに詳しいのだが、その中に冷やし中華を「思想」として読み解こうとする件りもあったななどと思い出す。
老いらくの不意に草いきれの真中
蜜豆をちいママと喰む黙(もだ)の路地
アメ横に香水を買ふ薄明かり
博打場の埴谷吉本苔の花
吉本・埴谷論争などというよくわからないものも80年代にあった。
ホテル・ニュー越谷あたり大夕立
これ、スネークマン・ショーのギャグを踏まえたものだろうか。こちらの動画の後半と、こちらで聴ける。
地球では七夕と呼ぶ水溜り
昼の尻夜の臍らの残暑かな
花野にて瞑る癖さういへば癖
秋薔薇あらあたし、てな顔つきで
月光の腑に落ちてゆく固さかな
人は塵月は巨大な石である
冬眠のひとりはさつきまで鯨
ぢつと見てゐる大小の雪女
焚火から離れて薄くなりゆけり
思春期ののつぴきならぬ獅子頭
線路沿い逆さ水母の御慶かな
むすめふさほせ一閃の老婦人
「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」は百人一首のうち、最初の一音で取り札が確定できる歌。
ほかに父母を詠んだ《大地・母・神・薄氷の土饅頭》《薄暗き父山焼の裔として》などの沈潜も印象的。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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