「都市」(発行編集:中西夕紀)2014年2月号から。
《昭和二〇年代に亡くなった人で(中略)俳人にその死が一番衝撃を与え、多くの俳句が詠まれたのは、実は俳人ではなく、スターリンと齋藤茂吉でした。》
《しかしどれも、「茂吉死す」「茂吉亡し」「茂吉逝く」であって茂吉忌とは詠んでいません。(中略)同時代に生きた巨人を詠むとき、草城も楸邨も「茂吉死す」が実感であったのです。》(筑紫磐井「俳句の歴史入門講座(33)季語32/忌日の句」)
ニュースまた同じ画像に湯ざめかな 中西夕紀
オートバイさも蜂に似て冬日向
外猫の主顔(あるじがほ)して漱石忌 半田沙羅(特別作品)
陶房に微かなバッハそぞろ寒 岩原真咲
栗山心の新・俳句月評(第21回)「同人誌とユニット」で、ハイクマシーン、guca、はがきハイクと一緒にSSTも並べられていた。雑誌もブログも持たないほとんど幽霊みたいなユニットではあるのだが(スピカが出てこないが、あれは当人たちから聞いたところではユニットではなく、ウェブマガジンということらしい)。
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「流れと流線~空気は固かった~ 」日映科学映画製作所1963年製作
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