2011年
文學の森
今日は天気が良く、五月らしいというのをとおりこしてやや暑いくらい、窓を開けておくと良い風が入るが、その風もときどき入りすぎるので、また窓をせばめるのに立たなければならなくなったりするという陽気だが、序盤に《芽吹く樹の脱ぎ捨つるもの浴びてをり》《初夏やきらめくわたしのフライ返し》などという句が出てくる関根誠子『浮力』を読むと、そういう陽気にふさわしい句集なのかとも思う。
作者は「寒雷」「炎環」他に所属。加藤楸邨、石寒太に師事。『浮力』は『霍乱』(1997年)以来の第二句集となる。栞は石寒太、池田澄子。
表現意欲を感じさせるリフレイン(《走つて走つて走つてゐるけれども芒》)、心情や認識の直叙(《水面までが空「自由」つて少し寒い》)、擬人法的な対象への構いつけ(《テネシーワルツ南瓜ぐわんばつてゐるカレー》)などの、情的な厚みを感じさせる要素と、俳句的な処理の手さばきとのバランスのよさが、却ってもう一段突き抜けたところへ出るのに枷となっている気配もときに感じるが、面白みのある句が多い。
あの蝶はいま毀(こぼ)れ出し脳細胞
電子楽器の線のゴチャゴチャ春の雨
黒点となる風船サルトル忌の宙へ
金魚玉けむりの如く母睡り
波打ちて毛虫隣家へゆくらしき
組閣ニュースだらだら祭に流れけり
ひとりづつ銀河とつながりゐて眠る
裏山は星の成り頃たぬき汁
尿(いばり)して象に望郷ありや冬
春の鴨ふた掻き先に亀浮いて
起きるに力眠るに力青木の実
カーネーション母が十五になる彼の世
十薬のここは使つてゐない家
ぐわんばらない海が茫々梅雨最中
姉になりたかつた妹と行く墓参り
梨切つてはづかしいほど静かな家
とりぐもりSuicaはチッと反応し
平日をはみ出してゐる栄螺かな
行く春の果肉に少し風の味
父の日のすこし雨降る朝(あした)かな
夏鶯おむすび弁当箸残る
チョキ出すと阿の像に勝ち山若葉
雲一片(いつぺん)人間一片冬岬
あつても困るタイムトンネル餅膨るる
廃村は水の音して掛り藤
狂歌の人
便々館胡鯉鮒(べんべんかんこりふ)の墓や春蚊出づ
人名の面白さで成り立っている句だが《三度たく米さへこはし柔かしおもふままにはならぬ世の中》で知られるこの江戸中期~後期の狂歌師、ネットで引くと「便々館“湖”鯉鮒」の表記ばかりが出てくる。誤字なのか、こういう表記もあるのか。
春の闇指で突(つつ)いて入るべし
母の日の足触れてゐる地球かな
目を合はせたくて金魚の廻る方へ
新宿の凍て澄む夜空ビルが生え
家族を扱った句《姉になりたかつた妹と行く墓参り》《父の日のすこし雨降る朝かな》《母の日の足触れてゐる地球かな》などが、句の底に秘められ鎮められた劇性を感じさせて印象的。
風景や物を詠んだ句でも《ぐわんばらない海が茫々梅雨最中》《新宿の凍て澄む夜空ビルが生え》《チョキ出すと阿の像に勝ち山若葉》等、情を通わせることによって相手のポテンシャルに触れ得たときに句となることが多いようだ。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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