今日の朝日新聞に《俳句 新世代が台頭 30代で結社主宰 学生が同人誌》という記事が載り、長谷川櫂の「古志」を引き継いだ大谷弘至新主宰、「鷹」の高柳克弘編集長らとともに、俳句同人誌「傘[karakasa]」を出した越智友亮、藤田哲史の2人も紹介されていた。
「傘[karakasa]」の「顧問」であるところの私は無論紹介されていない。
然り。私は顧問なのである。
というのも、去年の超新撰21竟宴のときにパネリストに「2020年の俳句界」を大予想させる企画があって(シンポジウムではほとんど触れなかったが、会場配布資料には載っている)、私が「俳句人類学」なる研究領域ができるなどと、願望込みの予想を簡単に書いて出しておいたところ、それを受けた高山れおな氏が以下のような予想を出してきたからである。
近未来予測【2020年の俳句界】
◆金子兜太百歳の賀が俳壇をあげて盛大に祝われる。政府もその盛り上がりを無視できず、高濱虚子以来、六十六年ぶりに俳人に文化勲章が授与される。ちなみに、首相はヤワラちゃんである。
◆高齢化にともなう誌友の減少により有名結社の解散があいつぐ中、二十九歳の越智友亮と三十三歳の藤田哲史が、同人誌「傘」を「大傘(OH!karakasa)」として結社誌化、正副の主宰となる(どっちがどっちかは予測つかず)。久々の若手主宰の誕生が、明るいニュースとして歓迎される。
◆「大傘」名誉顧問の関悦史が同誌に連載した評論「土浦からずっと――俳句人類学の試み」が単行本化されると、近現代俳句を世界基準の詩学の中に位置づける成果として、俳句界を超えた読者を獲得する。
◆古稀を迎えた筑紫磐井は、三千頁に及ぶ『超定型詩学の原理』を刊行。新時代の定型として「超定型」を主張するが、それがどのようなものであるか、ここに記すわけにはいかない。
◆それ以外の人々は、おおむねこつこつと、淡々と俳句を作り続けている。
問題はこの2番目と3番目である。
誰か専門の人類学者か宗教学者が立ち上げてくれればいいというくらいのつもりで書いた「俳句人類学」を、「傘[karakasa]」転じて「大傘(OH!karakasa)」に、私が書くことになってしまい、同時に私は10年後にはここの名誉顧問になっていることにされてしまったのだ。
その後パーティで「傘」の2人と話したら、名誉顧問になってもらうためには、まず顧問になってもらわなければならないという、まことにもっともな指摘を受けた。かくして私は非公式設定だかなんだかよくわからないままに「傘」の顧問ということになったわけだが、顧問であるところの私は、「傘」に対して今のところまだ何もしていない。遅れ馳せもいいところだがブログにくらい上げておこう。
考えたら、この創刊号が出た日付が2010年9月9日で、送ってもらって以来4ヶ月近くに渡って記事ひとつ上げてこなかったわけだが、その間にすでに、2011年版『俳句年鑑』の巻頭提言で、筑紫磐井さんが「傘」のことも紹介していた。
《こうした大人たちの動きを待っていられないということなのだろうか、若手グループの中の最も若い世代の越智友亮(十九歳)と藤田哲史(二十三歳)が共同で「傘」という雑誌を刊行し発信を始めた。ちょっと未熟という感じもしなくはないが、元気があってよろしい(これはどうみてもオジサンたちの上から目線の言い方だが、めげないように)。》
これで初めて「傘[karakasa]」の名を聞いたという読者も多数いたはずだが、この頃には創刊号の在庫もあらかた尽きていたはずである。その点、時差はあるとはいえ、ネットで起こった交流やそこでの蓄積を紙媒体に移さないことには全く反応しないフェティッシュな層が、ことに俳句においてはまだ多く、そこへのアピールとして効いたはずだ。「傘」自体がそもそも紙媒体という形に拘ったからこそ、『俳句年鑑』や「朝日新聞文化欄」を通しての発信力も得られたので、その目で振り返ると、最終ページにある創刊の辞は先見の明に富んでいる。
《「この作品はいい」という読み手が発するメッセージ。そしてそれを《効率よく》ではなく、《確かに》伝えたい。そういう気持ちをつきつめた結果、雑誌という形態に拘らざるをえなかった。》(「傘」創刊について)
そしてここがやや特異なところでもある。「「この作品はいい」という読み手が発するメッセージ」が重要、つまりこの雑誌、自分たちの作品発表が中心にはなっていないのだ。
朝日の記事には越智、藤田の句も紹介されているがこれらは巻末に付録のように載っているだけで、創刊号は特集対象である佐藤文香の書き下ろし8句とロングインタヴュー、年譜、書誌、過去の作品からの20句、藤田、越智による評論、佐藤文香と親しい歌人・太田ユリのエッセイという内容である。
ミュージシャン相手ならば普通になされてきた誌面作りが俳句においても可能なのだとあっさり証明してしまい、低予算ながら植字だけで垢抜けた誌面を作ってもいる。個々の記事の内容もともかく、何よりもまず、この雑誌作りのスタイル自体が、俳句の現状に対するオルタナティヴになっているのだ。これは特集扉ページの、大きなコンクリートブロックが積まれた上に立つ佐藤文香のモノクロ写真と、いわゆる俳句総合誌のグラビアページとを見比べてみればすぐわかる。
内容?
内容については、入手し損なった人ももうじきまた目にする機会が得られるかもしれない。得られないかもしれない。
そしてさらに、この雑誌は果たして2号以降に続くのか否か。
「顧問」はその辺のことは何も知らないのである。
愛続く電子レンジで肉まわる 佐藤文香
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