巻頭は林桂「父逝く―通夜に」で、多行俳句8句+反歌1句で故人の一生を辿りなおしている。
*青春
青年学校(せいねんがくかう)の
日輪(にちりん)
淡(あは)き
青薄(あをすすき)
*終戦
日矢(ひや)
痛(いた)きまでに
水筒(すいとう)と
復員(ふくゐん)す
反歌―母と
父死後(ちちしご)の八日目(やうかめ)にして米(こめ)を搗(つ)く
*
兵のどくろ民のどくろへ冬の雨 堀込学
鶴の家に匿れたままの岸田森 後藤貴子
コントラバスの屍斑あざやか山手線
涙こぼれるのは蛾の目見ていたから 萩澤克子
右翼手背走(ライトバック) 中里夏彦
白球(はくきう)と
やや
恋(こひ)の行方(ゆくへ)よ
―久しぶりに電話をかけてきた友人がいう。「浅川マキが公演先で急死したらしい。
まだ詳細不明だけど」。そして夕刊に死亡記事。
冬星に向かひ煙突掃除人 水野真由美
健啖のせつなき子規の忌なりけり(岸本尚毅)
検痰(けんたん)の 外山一機
刹那(せつな)
儀式(ぎしき)の
奇(き)なりけり
谷を行くオオムラサキの波しぶき 永井一時
シーソーのどこがオリオン座の一部 吉野わとすん
某女にメール
黒猫やそっと空きビン吹く男 暮男淳
返信あり
薄立つ雉子猫きのうも姿なし
おせちとてひとり闊歩のタラバかな 蕁 麻
忘却の彼方より来るO脚よ 西平信義
記事の死者に知人はおらず紅茶のむ 江里昭彦
踊り子老ゆそこにガマズミの実が紅い 大西健司
凍港の花弁に溜まる時の沙(すな) 丸山巧
これは8句1組の中に七福神の名を成す漢字を横断させて散らした連作中の1句で、ここではゴシック体で印刷された「弁」「沙」がそれぞれ「弁財天」「毘沙門天」の一部。
大亀を燻製にする火の帝 齋藤礎英
涼宮ハルヒ 丑丸敬史
フィヨルド
ドバイ
伊賀の影丸
「長門有希」「朝比奈みくる」「浅倉涼子」等、『涼宮ハルヒの憂鬱』のキャラクターを頭に据えて、そこからしりとりで単語を並べた4句から。
満月を腹上にして死のう 金子晋
霧粒の 深代響
溢れてやまぬ
頭蓋骨
*
送っていただいてなかなか上げられぬままになっていた「鬣」の2月号だが「第8回鬣TATEGAMI俳句賞」の発表号で、今年は眞鍋呉夫『月魄』(邑書林)、安井浩司『海辺のアポリア』(邑書林)の2作が受賞。
特集は「富澤赤黄男資料 新井哲夫宛書簡 翻刻資料及び解題」(林桂)と、「言葉のいる場所」の2本立てで、後者に昨年の新撰21竟宴のレポート記事が含まれている。《俳句形式の恩寵を無邪気に受けることに、形式を疑わずに俳句にかかわる無神経さに、思い至らなければ、外山の本当の意図を読んだことにはならないと思うのだが》(佐藤清美「「新撰21」報告」)。
『新撰21』への言及の多い号で、俳句時評欄の「新撰21―ゼロ年代の現在」(林桂)が「豈」49号(特集「俳句の未来人は」に『新撰21』参加作家数人のエセーを含む)の記事も閲して外山一機と並べて私に言及してくれており、書評欄では「選ばれたことの恍惚と不安」(江里昭彦)が『新撰21』を、個別の収録作家に触れることを回避しつつこの企画の歴史的位置付けを論じている。
過去の同種のアンソロジーの入集作家の《ほとんどは五十代に属し、還暦を過ぎた者も少なくないのに、成熟とはほど遠い場所でもたもた低迷しているではないか(六十歳のとき、蛇笏や三鬼や重信がどうだったか思い起こしてほしい)》《その一方で、選ばれてしかるべき人物が洩れるという不都合が見られる。正木ゆう子・中原道夫・小澤實・高野ムツオは、俳句の現在に影響を与えている存在である(とはいえ、その影響の及ぼし方に私は必ずしも賛成ではない)》にも関わらずこの4人と攝津幸彦は「精鋭句集シリーズ」(85年、牧羊社)、「現代俳句の精鋭」(86年、四季出版)、『現代俳句ニューウェイブ』(90年、立風書房)といった企画のどれに含まれていないことを指摘。祝福したいとはしつつも痛ましさの念が湧くという。
《目に捉えにくい暗礁や陥穽(関註・「俳句ブーム」といった時代環境を指している)が待ちかまえるなかで、「選ばれたことの恍惚と不安」をこれからどう生きるかが、新人二十一名のひとりひとりに問われているのだから。》
全くその通りだと思いつつも、私個人に関していえばそこまでの悲壮感漂う緊張は今ひとつ覚えられない、ある意味のんきな状態のままでいる。俳句作家としてのサバイバル以前に、生命体としての生存が経済上難関であるためかもしれない。
*青春
青年学校(せいねんがくかう)の
日輪(にちりん)
淡(あは)き
青薄(あをすすき)
*終戦
日矢(ひや)
痛(いた)きまでに
水筒(すいとう)と
復員(ふくゐん)す
反歌―母と
父死後(ちちしご)の八日目(やうかめ)にして米(こめ)を搗(つ)く
*
兵のどくろ民のどくろへ冬の雨 堀込学
鶴の家に匿れたままの岸田森 後藤貴子
コントラバスの屍斑あざやか山手線
涙こぼれるのは蛾の目見ていたから 萩澤克子
右翼手背走(ライトバック) 中里夏彦
白球(はくきう)と
やや
恋(こひ)の行方(ゆくへ)よ
―久しぶりに電話をかけてきた友人がいう。「浅川マキが公演先で急死したらしい。
まだ詳細不明だけど」。そして夕刊に死亡記事。
冬星に向かひ煙突掃除人 水野真由美
健啖のせつなき子規の忌なりけり(岸本尚毅)
検痰(けんたん)の 外山一機
刹那(せつな)
儀式(ぎしき)の
奇(き)なりけり
谷を行くオオムラサキの波しぶき 永井一時
シーソーのどこがオリオン座の一部 吉野わとすん
某女にメール
黒猫やそっと空きビン吹く男 暮男淳
返信あり
薄立つ雉子猫きのうも姿なし
おせちとてひとり闊歩のタラバかな 蕁 麻
忘却の彼方より来るO脚よ 西平信義
記事の死者に知人はおらず紅茶のむ 江里昭彦
踊り子老ゆそこにガマズミの実が紅い 大西健司
凍港の花弁に溜まる時の沙(すな) 丸山巧
これは8句1組の中に七福神の名を成す漢字を横断させて散らした連作中の1句で、ここではゴシック体で印刷された「弁」「沙」がそれぞれ「弁財天」「毘沙門天」の一部。
大亀を燻製にする火の帝 齋藤礎英
涼宮ハルヒ 丑丸敬史
フィヨルド
ドバイ
伊賀の影丸
「長門有希」「朝比奈みくる」「浅倉涼子」等、『涼宮ハルヒの憂鬱』のキャラクターを頭に据えて、そこからしりとりで単語を並べた4句から。
満月を腹上にして死のう 金子晋
霧粒の 深代響
溢れてやまぬ
頭蓋骨
*
送っていただいてなかなか上げられぬままになっていた「鬣」の2月号だが「第8回鬣TATEGAMI俳句賞」の発表号で、今年は眞鍋呉夫『月魄』(邑書林)、安井浩司『海辺のアポリア』(邑書林)の2作が受賞。
特集は「富澤赤黄男資料 新井哲夫宛書簡 翻刻資料及び解題」(林桂)と、「言葉のいる場所」の2本立てで、後者に昨年の新撰21竟宴のレポート記事が含まれている。《俳句形式の恩寵を無邪気に受けることに、形式を疑わずに俳句にかかわる無神経さに、思い至らなければ、外山の本当の意図を読んだことにはならないと思うのだが》(佐藤清美「「新撰21」報告」)。
『新撰21』への言及の多い号で、俳句時評欄の「新撰21―ゼロ年代の現在」(林桂)が「豈」49号(特集「俳句の未来人は」に『新撰21』参加作家数人のエセーを含む)の記事も閲して外山一機と並べて私に言及してくれており、書評欄では「選ばれたことの恍惚と不安」(江里昭彦)が『新撰21』を、個別の収録作家に触れることを回避しつつこの企画の歴史的位置付けを論じている。
過去の同種のアンソロジーの入集作家の《ほとんどは五十代に属し、還暦を過ぎた者も少なくないのに、成熟とはほど遠い場所でもたもた低迷しているではないか(六十歳のとき、蛇笏や三鬼や重信がどうだったか思い起こしてほしい)》《その一方で、選ばれてしかるべき人物が洩れるという不都合が見られる。正木ゆう子・中原道夫・小澤實・高野ムツオは、俳句の現在に影響を与えている存在である(とはいえ、その影響の及ぼし方に私は必ずしも賛成ではない)》にも関わらずこの4人と攝津幸彦は「精鋭句集シリーズ」(85年、牧羊社)、「現代俳句の精鋭」(86年、四季出版)、『現代俳句ニューウェイブ』(90年、立風書房)といった企画のどれに含まれていないことを指摘。祝福したいとはしつつも痛ましさの念が湧くという。
《目に捉えにくい暗礁や陥穽(関註・「俳句ブーム」といった時代環境を指している)が待ちかまえるなかで、「選ばれたことの恍惚と不安」をこれからどう生きるかが、新人二十一名のひとりひとりに問われているのだから。》
全くその通りだと思いつつも、私個人に関していえばそこまでの悲壮感漂う緊張は今ひとつ覚えられない、ある意味のんきな状態のままでいる。俳句作家としてのサバイバル以前に、生命体としての生存が経済上難関であるためかもしれない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。