昭森社
1964年
『断面』は馬場駿吉の第一句集で少年時から昭和37年(1962年)までの349句を収める。解説は師の橋本鶏二。
第二句集の『薔薇色地獄』からあの絢爛たる仮構に微量の毒を沈潜させた馬場駿吉の世界が展開されるので、『断面』はいわば馬場駿吉が馬場駿吉になる前のごく伝統的作風の句集。編年順で、医学生としての日常から医師となるまでの暮らしと感慨がおおよそ辿れる。
学問のつかみかかれる昼寝覚
チョークみな豆粒となり夜学更く
沓脱をよぎる蜥蜴や別れ惜し
梅雨暗し置きある辞書につまづきて
ペニシリンなかりし頃の医書曝す
手紙来し音にもさとく露に住む
青蔓を切って火に投げ墓洗ふ
秋風の細江の橋に手摺なし
或る萌芽結実せず
小説はいよいよ苛酷落花生
虚子に《落花生喰ひつゝ読むや罪と罰》があり、深刻な『罪と罰』を落花生が茶化している格好。こちらはそれをもう一度「苛酷」へ舵を切りなおしているが、いわば雅と俗、実と虚、どちらからもガラス一枚隔たったような印象。ここまで並べただけでも句柄に細みの特質が目立つ。
解剖衣ぬぎ外套を着て帰る
風邪ひいて指紋の渦にひかりなし
大学は貧しストーブ午後は焚かず
冴返る書架へ楔の如く書を
母とあれば愁に遠し桜餅
夏休 北海道へ
葭簀立て馬具店があり美幌町
氷片を舌にあやつる我鬼忌かな
石に置く舊約聖書焚火の辺
詩の神の一と言のごと風花す
廊下冬日学の白衣に兎の血
動物実験を済ませての句か。
握手かりそめならずたがひに手つめたく
針に糸とほす息とめ母の冬
友情や家族への情がごく素直に出ている句が多いのはやや意外。「暁より雪 魚目・一彫子来」の前書きを持つ《炭火美し友情いのちあるかぎり》や、「宇佐美魚目句集「崖」世に出づ」の前書きを持つ《讀初のもとより友が処女句集》のような手放しの句もある。
星金銀蝶多かりし日の空に
鈴懸の花映る玻璃雑誌買ふ
書架黴びて聖書もただの一蔵書
世に消えし戦死の誇墓洗ふ
解剖いま終りし煙草秋の暮
なにゆゑの放浪ぞ地に毛布敷き
四月十七日上京 高浜虚子先生葬儀 於青山斎場
残照の薔薇みな黄なり喪章とる
古本屋春塵賤書おびただし
茎ゆがむたんぽぽ壮(わか)き教授の死
海冥(くら)く鎖国の過去の花蘇鉄
黴の書の巻末著者の印赤し
手を浸す永き泉の命脈に
流星のゆくへに人の孤独あり
わが書架は灯れど庭に風禍の樹
これは昭和34年伊勢湾台風後の句。
秋深く愛す北欧無神の書
カラヤン指揮 ウィン・フィルハーモニー交響楽団を聴く 四句
タクト決然弦群いまぞ冬へ鳴り
聴衆冬の淵のしづけさ楽たぎち
竪琴(ハープ)に冬故郷ウイーンの森遠く
カラヤンの白き手憶ふ夜の落葉
来日演奏家の演奏を聴いている句が幾つかあるが「シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団を聴く」の前書きを持つ《汗育つ苦悩の主題低く鳴り》等、誰でもそうなるというところであろうが、概ね素材と感興に押されて五七五に入れるのが手一杯の印象。
一月十日 豊橋へ赴任 雨寒し
任地無縁冬川いくつよぎり来し
みち凍てていまだポストの位置も知らず
木枯に仮寓はじまる夜を灯(とも)す
無音なる夜ぞストーブに当直医
書冊ふゆるのみの身辺隙間風
一墓標野に新たなり青き踏む
野火遠く石は屍の冷たさに
当直医遅き餉をとり花火の夜
木曾宮ノ越
瀬に洗ふ障子胡桃の葉影浴び
鰯雲漁夫らは海を眩しまず
天は人を容れず雪嶺にのぼるとも
駒井哲郎作銅版画「束の間の幻影」わがコレクション最初の一点となる
汗も拭かず見てをりし画をつひに買ふ
人間は血を持つ時計年歩む
上京、四月九日夜 銅版画家駒井哲郎先生を訪ふ
画家高橋秀氏とも再会 五句
画家を訪ふ鋭(と)き春星に導かれ
詩が話題春夜の赤き椅子に画家
春蚊とぶ画室銅版夜を光り
画家定住芝生の彼方果樹芽吹き
高橋秀氏に
受賞後も画家はたゆまず蜥蜴出づ
憂愁の夜が来る薔薇と銅版画
詩は刻(とき)の断面薔薇の棘光る
薔薇冷えて鏡中に夜の刻すすむ
薔薇の香に稿つぐ真夜の飢すこし
薔薇咲きつぐ朝の證(あかし)のパン真白
塚本邦雄が馬場駿吉の第二句集『薔薇色地獄』の後記で触れた《詩は刻(とき)の断面薔薇の棘光る》の句、元の並びに戻して見ると、一般論的なことを言っているのではなく、夜の時間の流れのなか、不意に介入した意識の空白という体験的なことを句にしているようだ。
廊を来る鬱病患者薔薇に雨
人に癌殖ゆるをやめず梅雨永し
個展への階炎天の舗道より
手術衣に血痕の群大暑来る
人の死期測るも医業蝉しぶく
銅版画の黝き世界に昼寝覚
八月八日 ヘルマン・ヘッセ逝く
鈴懸の葉脈に露ヘッセの死
逆光の嶺より黝き葡萄摘む
第二句集以降に比べれば穏当な写実の句と見えるものが多いが、手術衣の「血痕の群」にせよ「黝き世界」「黝き葡萄」にせよ、物への執念深い写生、言語の外のものを言語化していく営みの至難さに憑かれたというよりは、あらかじめ意識の中に取り込まれた、あるいは意識と外界のはざまを漂う形象のみが詠まれているようだ。「美」を私して安手な自己愛の牢獄に化さず、それもまたひとつの外界・公共性のごときものとして踏みとどまる限りにおいてのみ佳句を成しうる細い経路への出立の句集と、遡って見ればそう読める。
第二句集『薔薇色地獄』表紙
1964年
『断面』は馬場駿吉の第一句集で少年時から昭和37年(1962年)までの349句を収める。解説は師の橋本鶏二。
第二句集の『薔薇色地獄』からあの絢爛たる仮構に微量の毒を沈潜させた馬場駿吉の世界が展開されるので、『断面』はいわば馬場駿吉が馬場駿吉になる前のごく伝統的作風の句集。編年順で、医学生としての日常から医師となるまでの暮らしと感慨がおおよそ辿れる。
学問のつかみかかれる昼寝覚
チョークみな豆粒となり夜学更く
沓脱をよぎる蜥蜴や別れ惜し
梅雨暗し置きある辞書につまづきて
ペニシリンなかりし頃の医書曝す
手紙来し音にもさとく露に住む
青蔓を切って火に投げ墓洗ふ
秋風の細江の橋に手摺なし
或る萌芽結実せず
小説はいよいよ苛酷落花生
虚子に《落花生喰ひつゝ読むや罪と罰》があり、深刻な『罪と罰』を落花生が茶化している格好。こちらはそれをもう一度「苛酷」へ舵を切りなおしているが、いわば雅と俗、実と虚、どちらからもガラス一枚隔たったような印象。ここまで並べただけでも句柄に細みの特質が目立つ。
解剖衣ぬぎ外套を着て帰る
風邪ひいて指紋の渦にひかりなし
大学は貧しストーブ午後は焚かず
冴返る書架へ楔の如く書を
母とあれば愁に遠し桜餅
夏休 北海道へ
葭簀立て馬具店があり美幌町
氷片を舌にあやつる我鬼忌かな
石に置く舊約聖書焚火の辺
詩の神の一と言のごと風花す
廊下冬日学の白衣に兎の血
動物実験を済ませての句か。
握手かりそめならずたがひに手つめたく
針に糸とほす息とめ母の冬
友情や家族への情がごく素直に出ている句が多いのはやや意外。「暁より雪 魚目・一彫子来」の前書きを持つ《炭火美し友情いのちあるかぎり》や、「宇佐美魚目句集「崖」世に出づ」の前書きを持つ《讀初のもとより友が処女句集》のような手放しの句もある。
星金銀蝶多かりし日の空に
鈴懸の花映る玻璃雑誌買ふ
書架黴びて聖書もただの一蔵書
世に消えし戦死の誇墓洗ふ
解剖いま終りし煙草秋の暮
なにゆゑの放浪ぞ地に毛布敷き
四月十七日上京 高浜虚子先生葬儀 於青山斎場
残照の薔薇みな黄なり喪章とる
古本屋春塵賤書おびただし
茎ゆがむたんぽぽ壮(わか)き教授の死
海冥(くら)く鎖国の過去の花蘇鉄
黴の書の巻末著者の印赤し
手を浸す永き泉の命脈に
流星のゆくへに人の孤独あり
わが書架は灯れど庭に風禍の樹
これは昭和34年伊勢湾台風後の句。
秋深く愛す北欧無神の書
カラヤン指揮 ウィン・フィルハーモニー交響楽団を聴く 四句
タクト決然弦群いまぞ冬へ鳴り
聴衆冬の淵のしづけさ楽たぎち
竪琴(ハープ)に冬故郷ウイーンの森遠く
カラヤンの白き手憶ふ夜の落葉
来日演奏家の演奏を聴いている句が幾つかあるが「シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団を聴く」の前書きを持つ《汗育つ苦悩の主題低く鳴り》等、誰でもそうなるというところであろうが、概ね素材と感興に押されて五七五に入れるのが手一杯の印象。
一月十日 豊橋へ赴任 雨寒し
任地無縁冬川いくつよぎり来し
みち凍てていまだポストの位置も知らず
木枯に仮寓はじまる夜を灯(とも)す
無音なる夜ぞストーブに当直医
書冊ふゆるのみの身辺隙間風
一墓標野に新たなり青き踏む
野火遠く石は屍の冷たさに
当直医遅き餉をとり花火の夜
木曾宮ノ越
瀬に洗ふ障子胡桃の葉影浴び
鰯雲漁夫らは海を眩しまず
天は人を容れず雪嶺にのぼるとも
駒井哲郎作銅版画「束の間の幻影」わがコレクション最初の一点となる
汗も拭かず見てをりし画をつひに買ふ
美術の深みへの第一歩。《葡萄甘しわが買ひし画は小さけれど》《胡桃割る画を買ひし夜は頬熱く》等、感興収まらぬ風情の句が続く。著者は現在、医学部教授を退官後、名古屋ボストン美術館館長となっている。
駒井哲郎「束の間の幻影」
人間は血を持つ時計年歩む
上京、四月九日夜 銅版画家駒井哲郎先生を訪ふ
画家高橋秀氏とも再会 五句
画家を訪ふ鋭(と)き春星に導かれ
詩が話題春夜の赤き椅子に画家
春蚊とぶ画室銅版夜を光り
画家定住芝生の彼方果樹芽吹き
高橋秀氏に
受賞後も画家はたゆまず蜥蜴出づ
憂愁の夜が来る薔薇と銅版画
詩は刻(とき)の断面薔薇の棘光る
薔薇冷えて鏡中に夜の刻すすむ
薔薇の香に稿つぐ真夜の飢すこし
薔薇咲きつぐ朝の證(あかし)のパン真白
塚本邦雄が馬場駿吉の第二句集『薔薇色地獄』の後記で触れた《詩は刻(とき)の断面薔薇の棘光る》の句、元の並びに戻して見ると、一般論的なことを言っているのではなく、夜の時間の流れのなか、不意に介入した意識の空白という体験的なことを句にしているようだ。
廊を来る鬱病患者薔薇に雨
人に癌殖ゆるをやめず梅雨永し
個展への階炎天の舗道より
手術衣に血痕の群大暑来る
人の死期測るも医業蝉しぶく
銅版画の黝き世界に昼寝覚
八月八日 ヘルマン・ヘッセ逝く
鈴懸の葉脈に露ヘッセの死
逆光の嶺より黝き葡萄摘む
第二句集以降に比べれば穏当な写実の句と見えるものが多いが、手術衣の「血痕の群」にせよ「黝き世界」「黝き葡萄」にせよ、物への執念深い写生、言語の外のものを言語化していく営みの至難さに憑かれたというよりは、あらかじめ意識の中に取り込まれた、あるいは意識と外界のはざまを漂う形象のみが詠まれているようだ。「美」を私して安手な自己愛の牢獄に化さず、それもまたひとつの外界・公共性のごときものとして踏みとどまる限りにおいてのみ佳句を成しうる細い経路への出立の句集と、遡って見ればそう読める。
第二句集『薔薇色地獄』表紙
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