以前からちらほら出ていた当ブログの引越話が今日やっと済んで、本館は豈weekly内に移りました。こちらは今後「別館」という形になります。
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しばらく間が空いたが、今回は自由律の俳人・荻原井泉水。
山頭火や放哉の師匠としてばかり有名で本人の句を見る機会があまりない作家で、何となく気になってはいただが、先月の『俳壇』が100句ほどまとめて掲載してくれているのでそこからちょっと抄出する。
門人からは「井師(せいし)」と呼ばれた。放哉の句「障子あけて置く海も暮れ切る」も井泉水の添削によって成ったもので、原句は「すっかり暮れ切るまで庵の障子あけて置く」という後から見ればやや散漫に見える形であった。他の門人たちからは不評だった放哉の「墓のうらに廻る」に擁護の論陣を張ったりもしている。
この放哉や山頭火が漂泊の末に40~50代で先立ったため、「自由律」イコール漂泊・短命の印象が強くなってしまったが、『層雲』の創刊号にはゲーテが引かれていて、元々は広やかなロマン性を目指した運動であったらしい。
大正元年~大正14年
秋田言葉にすすめらるる梨の大きやか
筆採る我にひそと炭つぐ母かなし
みどりゆらゆらゆらめきて動く暁
海の幸曳(さちひ)くえんやえんやとおとこおんなよ
空をあゆむ朗朗と月ひとり
大震災起る
劫火(ごうか)更けつつ欠けし月を吐けり
ただに水のうまさ云う最期(さいご)なるか
我顔寄せてこれぞいまわの母の顔
わつさり竹動く一つの着想(ちゃくそう)
私の首も浮かして好い湯である
昭和元年~昭和20年
放哉を葬る
痩せきつた手を合わしている彼に手を合わす
一ずにふる雪となりて竹にふる
生きていれば逢えることの旅で萩さく
碧梧桐告別式
君もわたしも立ちつづけて冬の木、影をひく
梅また梅水のゆくほうへまたゆく
終戦の大詔下る 二句
げに山河あり雲のいでて月の清さなり
星それぞれの秋の座にあり戦終り
昭和21年~昭和50年
わたしの誕生日は田植祝のどぶろくもよし
どちらを見ても山頭火が歩いた山の秋の雲
平和とは要塞を夢の跡と見る月見草です
平和とは月のうさぎがはっきり餅つく
さくらさいて三里の灸は旅するというでもなく
かごからほたる一つ一つを星にする
走つてぬれてきて好い雨だという
すべてを失うた手と手が生きて握られる
おめでとうとまだ言えぬ子もいてめでたし
汗して石に彫(ほ)るべき大字書きおえたり
月に酒酌む河童の老は葦の笛ふく
頤(おとがい)に髭(ひげ)はのびるままにしてとにかく九十一
月ばかりの月である空
荻原井泉水(1884(明治17)年6月16日 - 1976(昭和51)年5月20日)
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