2000年
花神社
今回は以前ニガイメ氏に買っておいてもらった、宗田安正の第三句集『百塔』。
エディター、評論家としてのみ知られる人だが、その実作が並ではない。
しかし他人の作を論ずる立場ばかりが回ってくるので、当人の句が評価される機会は、およそ不相応なくらいにない。
佳句を引く。
水仙の跫音水仙は聴けり
羊水の匂ひ知らるな黒揚羽
人体と蝶といづれの重きかな
水なりと突然椿のつぶやけり
とにもかく腸弱くして重信忌
日と月を穴と思へば白牡丹
少女らも滝になるかもしれぬなり
一本の白髪のなか渡る雁
荒淫といふことありぬ芒にも
鯉の肝呑みてよりたましひを病む
初夢のあまりに美(は)しき馬の貌
落つるときニヤリと笑ふ椿かな
梅林の入口この世にひらき
ばかばかしと蝶と蝶とがすれ違ふ
蝶われをばけものとみて過ぎゆけり
桃咲くとうす笑ひして犬通る
空蝉のふかなさけよりのがれきし
理髪師が空海の笑みもらしけり
真贋を手ごめにしたるむめの花
放蕩のゆきつくところ厚氷
物質を癒してをりぬ白蝶群
受胎とげしはレオナルド・ダ・ヴィンチか
仏間にて月光倒る音したり
凍蝶のこときるるとき百の塔
一見綺想と見えるものも皆端正で篤実な、俳句形式による哲理の開示。
レオナルドの句、ポルトレ(文による肖像)的な作りでこれを超えるものが今後現れるかどうか。
アマゾンの内容紹介は〈カフカよりはるばる来たる蝸牛 仏間にて月光倒る音したり 寡黙によってしか表現できない「気配」という不可思議を、俳句形式を通じて提示する。「巨眼抄」に続く第三句集〉。
ここでの中古価格がまた、少々不当に思える。
安すぎるのだ。
なお宗田安正は評論集『昭和の名句集を読む』(本阿弥書店・2004年)で、翌年の山本健吉文学賞を受賞している。こちらも名著。
少女らも滝になるかもしれぬなり
初夢のあまりに美(は)しき馬の貌
の二句が好きです。羊水の句は“羊水”そのものにロマンが抱けません。。(;;)。
受胎とげしはレオナルド・ダ・ヴィンチか
は凄くコロンブス的発見なのですが、いわれちゃうと大したことないというか、
当たり前に見えてしまって残念な句のように思います。
理髪師が空海の笑みもらしけり
いいなぁ。。。。生きてる者ほど怖いものはないし、
生きている人ほど救いになる希望もまたないのかもしれません。
落つるときニヤリと笑ふ椿かな
落ちる時には笑いたいものですね(>▽<)!!!
投稿情報: 野村麻実 | 2008年11 月10日 (月) 01:01
>野村麻実さま
馬、お好きですものね(この句だと馬に恋しそうです)。
羊水が身近すぎるというのは、こういう句の場合困りますね。
理髪師と空海は、日常に突然永遠性を伴ったあやしげなものが割り込んできていますが、考えたら、カミソリを持った相手に自分の頭を明け渡している場面なので説得力があります(女性が行く理容室ではカミソリで顔をあたったりするのは禁止されているらしいですが)。
私はこの中では「ばかばかしと蝶と蝶とがすれ違ふ」が印象的でした。
蝶の句もかなり多いのですが、こういう象徴性の強さゆえに月並みになりやすい題材をこれだけ使いこなす肝の部分が垣間見えたようで。
投稿情報: 関悦史 | 2008年11 月12日 (水) 15:20